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『地図で読む戦争の時代』今尾恵介(白水社)

地図で読む戦争の時代

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「地図に暮らす人が等身大になるまで縮尺を上げる」

膨大な地図資料をもとにたくさんの著書を持つ今尾恵介さんが、「地図で戦争の時代を読む」「戦争の時代の地図を読む」という2つのテーマでまとめた本である。侵略あるいは占領によって変化した国土を政府はどう記してきたか。戦時体制下では一般の目に触れることのなかった地図も古書市場に出るようになり、そうした貴重な資料も含めた新旧の地図を見比べることで浮かび上がる時代を追う。

散歩しながら昔ここは何だったのだろうとスマートフォンのアプリで古い地図と見比べることはたびたびあるが、東京ドームやこどもの国、代々木公園が軍用地であったことなどに単純な驚きを覚えるばかり。そもそもなぜその場所が軍用地とされ戦後どのようにして転換されたのか、そのことによって消えた町や道路があるならなぜなのか……。今尾さんのように新旧の地図を丹念に見比べることができれば疑問はとめどなくあふれ、地図を扉にしたラビリンスが待っている。


本書の中で「地図が隠したもの 秘匿される地図」と題された章がもっとも興味深い。昭和10年刊の等高線を省いた横須賀の地図、昭和7年刊の大久野島を含む瀬戸内海を真っ白に塗った地図、昭和12年の軍機保護法改正にともなって行われた「戦時改描」の例……。最も隠したい相手である米軍はすでに正確な日本の地形図を得ていたことは周知のとおり。結果的に欺いたのは国民の目であった。それどころか、残された資料の偽りを見抜く術を知らなければ、〈後世に生きる現代人でさえ引き続き欺き続ける厄介な存在にもなった〉と今尾さんは言う。

     ※

今尾さんの目には地図製作者ひとりひとりの無念もうつる。「戦時改描」を迫られてわざと雑な描写をしたのではないか、それは大胆な反抗と想像したり、空襲で焼け野原となった一帯の地図から市街地を記す模様を削る切なさを思ったり。地図上から消えた場所や名称には、その場所を失ったひとびとの行く末来し方も重ね見る。地図に人を見ている――。どうすれば地図に人が見えるのか。戦災焼失区域はピンク色、疎開区域は緑色に塗られた「東京空襲を記録する会」が復刻した地図を眺めながら今尾さんが言っている。


 番地まで表示されたこの図を眺めていると、「東京は焼け野原になった」などという大雑破で月並みな表現より、よほど具体的に、広大な面積で家屋も学校も工場も、何もかもが焼かれた事実として迫ってくる。「頭の中の縮尺」をさらに上げてみれば、もっといろいろなことが想像できる。一郎君の家は焼かれて一家行方不明になった、和子さんは両親も弟も亡くして千葉のおじいちゃんに引き取られた,田中さんは経営していた町工場を失って茫然自失になった……。


 戦争を知らない世代には、おびただしい数の亡き都民の無念を、このピンクの市街地から懸命に想像する義務があるのではないか。


地図の中に暮らす人が等身大になるまで、縮尺を上げて地図を見つめるのだ。


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