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『わたしは菊人形バンザイ研究者』川井ゆう(新宿書房)

わたしは菊人形バンザイ研究者

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「菊人形は日本人共有の秋のガーデン」

菊人形、あったあった。遊園地か公園に入ってすぐの右か左に並んでいた。菊の衣装がきれいというより、白々とした顔や手足が怖かった。NHK大河ドラマの一シーンかなにかだったのだろう。祖父母か誰かが足を止めて眺めていたから、手をひかれた子どもの私の記憶にも残った。本書の表紙カバーの色とりどりの菊人形に、思い出の中の怖さが可笑しみに変わってよみがえりページをめくる。巻頭カラーに「菊師」さんがいる。衣装である菊を「着付け」している。マネキン人形のようなものに花をはりつけているのではないのはわかるが、いったいどんな構造の胴体にどう花を活けているのだろう。続いて「着せ替え」と題された写真が数枚。生きた菊を「着て」いる菊人形は、時間の経過とともに衣装の色が変わるという。なるほど。

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菊人形のとりこになって20年、著者の川井ゆうさんは日本でただひとりの菊人形研究者だそうである。秋の季語に「菊人形」があり、日本では150年以上の歴史があるというのに、活字として残っているのは江戸時代の「江戸」でのことと、見世物として確立した明治時代の東京のことくらい。二葉亭四迷の『浮き雲』や夏目漱石の『三四郎』では東京の団子坂で楽しそうに菊人形を見ているようすが記されているが、あとは断片的に俳句やエッセイに残るだけという。全国各地の菊人形展をたずねては職人の話を聞いて作り方や興行を記録し、集めた資料から日本初の菊人形や私鉄開業との関わりを明らかにする。「見立て」「娯楽」のキーワードで菊人形を読み、菊=葬式花を決定づけたできごとも記す。〈活字に残された歴史と、残されていない現状を、活字に残して〉むすばねばとの意気込みだ。



菊人形の本体を作るのは、顔手足を作る人形師と、その他すべてを担当する菊師。人形師は江戸の時代から、山車の人形や人体模型、仏像、博物館の展示人形、のちのディスプレイ用のマネキン人形などさまざまなものを作ってきた。幕末から明治にかけては複数の人形を場面構成して舞台で見せる「生き人形」として、興行化にも成功している。いっぽう菊師は、まず菊を飾る胴体部分を竹などで組み(古くは専門とする胴殻師がいた)、「人形菊」の根を水苔でまいて胴体の内側に差し込み、枝をUの字型に曲げて花びらが上を向くようにして形を整える。日に一、二度根元へ水をやるなどの管理も行う。年に一度、今年の菊で彩る衣装を一手に握る、いわば菊人形というガーデンのプランナー。つまり菊人形は、日本人が共有できる秋の移動ガーデンなのだ。



これを知って今秋、湯島天神の菊人形を下からあおって見てみた。U字型の菊の枝の流れが見えて、袖口などの細工の微妙にも気づいた。蕾があるのはまだ始まったばかりだからで、これからどう変わるのかを想像する楽しみも知った。なにしろ衣装に初めて目がいった。もう菊人形は怖くない。

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冒頭に長い弁解がある。ときどき出てくる自虐的なものいいも、菊人形に向かって読み進めているときに邪魔になる。〈本書は研究論文ではないからね。そのつもりで読んでください〉と言われても、普段研究論文を読まない者には無用の宣言。ほんとうに〈ひろく読者のかたに読んでいただきたい〉のなら、ひたすらおおらかにバンザイして整理してくれたらもっとよかった。


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