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『マッカーサー』増田弘(中公新書)

マッカーサー

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「目からウロコの日米戦争史」

 マッカーサーといえば、コーンパイプをくわえて厚木飛行場へ降り立つ姿が有名だろう。余裕にあふれた勝利者の姿だ。しかしその行動はチャーチルに言わせれば「戦争中の数々の驚きの中で、もっとも勇敢なものである」というのだ。日本の降伏から二週間。米軍が占領しているわけでもない敵地だ。しかも厚木は徹底抗戦を唱えた海軍航空隊の根拠地であった。そこへ先発隊がいるとはいえ、数十人で降り立った。マッカーサーはとてつもなく勇敢で決断力に富み、また演出力に長けた軍人だったのである。マッカーサーの人物を象徴していて、「なるほど」と膝を打ちたくなる話である。

 そのマッカーサーとは、米陸軍士官学校をかつてない最高成績で卒業した最高級エリートである。父親も米陸軍高官だった。しかし彼は、見知らぬ者との会食を嫌う、自己意識過剰の非社交的な人物だったという。彼の医務官によれば「当惑し、恥ずかしかったから」らしい。マッカーサーは他人とはすぐに打ち解けない内向的な人物だった。これもまた驚くような話であろう。

 本書の功績は、マッカーサーの取り巻きグループ「バターンボーイズ」を初めて詳細に考察したことにある。そこで明らかにされるマッカーサーをめぐる人間模様、上司へ取り入る組織人の姿は興味深い。しかしそれ以上に本書の功績は、日本占領以前の「知られざるマッカーサー」を掘り起こしたことにある。読者は、米国軍人のリアルな人物像、また戦争への取り組み姿勢を知り、太平洋戦争史を米軍の視点から捉え直すことができると思う。

 例えば「玉砕」について。日米開戦後、米フィリピン軍はバターン半島コレヒドール島へ追い詰められる。弾薬と食糧を欠き、その様相は戦争後期の日本軍の数々の島嶼戦を思わせる。マッカーサーは部下に最後まで戦うことを命じ、自身も一兵となってまで戦うことを決意した。まさに玉砕戦である。しかしルーズベルト大統領は、マッカーサーへの脱出命令と、現場での降伏の許可を下す。日本軍とは違い、米軍は玉砕しなかった。どちらが歴史的に正当だったか、明白であろう。

 それから「油断」。命令を受けたマッカーサーはどうやってコレヒドール島を脱け出したのか。航空機か潜水艦か。いずれも否。マッカーサーたちはPTボート(魚雷艇)四隻に分乗してフィリピンを離脱した。大胆で危険な選択だった。快速とはいえ、戦闘力に乏しい小艇である。日本軍に見つかったら、ひとたまりもなかったはずだ。実際、日本の巡洋艦に遭遇し、息を潜める事態になった。ところが日本軍はボートを見つけることはなかった。奇跡的な脱出劇だった。日本軍は完全に裏をかかれたのだ。この緒戦の油断が、やがて全体の綻びへ繋がっていくことは、歴史が語る通りである。

 そして再度「勇気と決断」。戦争後期のレイテ海戦。マッカーサーは米軍が上陸中のレイテ湾へ日本の戦艦が一隻でも侵入すれば作戦が失敗に終わることを悟っていた。だが日本の栗田艦隊はレイテ湾へ突入せず、反転した。多くの人が知る史実だが、マッカーサーの視点から眺め、また彼の圧倒的な決断力を知ることで、我々日本人はあらためて嘆息することとなる。

 本書『マッカーサー』は五百頁に迫る大冊だが、鏡の向こうの世界を知るようで飽きさせない。目からウロコの思いがしばしばだった。アジア近代史・太平洋戦争史、そして危機下の人間の行動について関心のある方に、おすすめの一冊である。

(営業企画部 佐藤高廣)


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