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『行動ファイナンスで読み解く投資の科学』大庭昭彦(東洋経済新報社)

行動ファイナンスで読み解く投資の科学

→紀伊國屋書店で購入

 だまし絵や立体錯視を研究している私の経験では、人は目の前の状況をありのままに見ているようでも、さまざまな思い込みをそこに投入して“勝手に”見ている場面が驚くほど多い。いわゆる錯覚現象である。聴覚や味覚でも同様の錯覚がたくさんあることを、研究活動の中で見聞きしている。だから錯覚に関してはあまり驚かなくなっているつもりだった私であるが、投資や購買という一見理性的な人の行動においても、錯覚と呼びたくなる不合理な行動がたくさん見られ、しかもそれが商品販売などに利用されているということを多様な例を挙げて解説しているこの本には驚かされた。

 小さい子供のころに「パンの値段はどう決まるの」と大人に聞くと、お百姓さんが麦を育て、製粉屋さんが小麦粉にし、パン職人がそれをパンに焼き、パン屋さんがそれを売るという過程で、原材料代や労働代が加算されて決まるのだよと聞かされた。大きくなると、それは嘘で、本当は需要と供給の均衡状態として価格が決まるのだと説明されて、失望すると同時に、経済活動の厳しさを垣間見たような気になって、少し大人に近づいた感覚も持った。さらに大きくなると、それも単なる理想状態で、現実には、独占・寡占や偽装・情報操作などが市場原理を乱し、だから監視や規制が必要だと教えられる。

 でも、この本で解くファイナンスの生態は、もっと別の要素が経済活動に大きくかかわっていることを教えてくれる。たとえば、何個以上買うと送料が無料になるというシステムにつられて必要以上のものを買ってしまうとか、すでにつぎ込んだお金がもったいないという感覚が優先するために途中でやめられず不合理な行動をしてしまうとか、リスクを恐れることが優先されるために、期待収益という観点から見ると必ずしも最適とは限らない金融商品が魅力的に見えてしまうとかである。また、マイレージなどのポイント制が単なるディスカウントとどう違うのかなどもよくわかる。このように身近な例が具体的な数値を使ってたくさん説明してあるため、とても読みやすい。数式を使った議論もあるが、それを読み飛ばしても大体わかるように前後の説明が工夫されていたりもする。

 これらは、「行動ファイナンス」と呼ばれる比較的新しい学問分野で解明されつつある個人の行動に関する研究成果だそうである。でも、だからそんな購買行動はやめなさいと説いているわけではない。人がお金を使うときの満足感は、簡単に数値で測れるものではなく、やはり自分がよいと思った使い方をするしかないであろう。ただ、何をよりよいと思うかという判断の材料として、本書のような視点も役立てたいという感想を強く持った。