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『告白』町田康(中公文庫)

告白

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「夢幻的人生」

 書店で厚い本を見ると惹かれてしまう。本狂いの人間の悪い癖だ。厚い本だと楽しみが長く続くのが嬉しいのである。薄いと、会席料理の一部に時々現れるお寿司のように、食べてしまうのが(読んでしまうのが)もったいなく感じて、手を出すのが惜しくなってしまう。貧乏性だろうか?               

 町田康の『告白』は、文庫本だが800ページを超える長編である。だが楽しみはそれほど長くは続かなかった。面白くて一気に読まされてしまうのである。明治26年に実際に起きた「河内十人斬り」事件を元にした創作だ。主人公の城戸熊太郎は貧乏百姓の子だが、幼い時から何でも熟考する癖があり、しかもそれが哲学的妄想の域に達している。

 子供同士の小競り合いでも、深く考え込む。弱い自分が強く見えるのは、大楠公流の奇知・奇略によってである。何故そうするのか。忠ではない。人を殴るのが気持ちよいのか、違う。では義だろうか・・・。などと永遠に考えているのである。そのせいで、他人とは違う人間だと自覚する。

 これだけならば、熊太郎は一風変わった人間というだけで、誰の記憶にも留まらなかったであろう。彼の一生を左右する出来事は、岩室で葛木ドールという怪人を殺害したことだ。これとても、熊太郎の妄想の産物としか思われないのだが、彼はこのせいで自分の一生は終わりだと考え、自暴自棄な生活を始める。

 博打と酒に溺れながらも、思い出したように百姓仕事を試みるのだが、そんな簡単にできるものではなく、すぐに挫折する。そんな熊太郎に作者は頻繁に半畳を入れるのだが、視点は現代からなので、その違和感が面白い。野犬に向かって、お前は誰だと問う熊太郎に「はっきりいってあほである。犬を相手に、お前は何者だ、と誰何したからといって犬が、はい。私は大阪府泉佐野市からやってきた尨犬でございましてなどと返事をするわけがない。」と揶揄する。

 熊太郎はかつて賭場で偶然助けた弥五郎とコンビになり、遊び回る。美人の縫と一緒になり、幸せが見えてきたところで、縫は熊太郎の弟分の寅吉と姦通し、腐れ縁の熊次郎には大金を騙し取られる。堪忍袋の緒が切れた熊太郎は、弥五郎と共に熊次郎や縫等10名を殺害し、山中に逃げる。山に詳しい弥五郎のお陰で、二人は追っ手に中々捕まらない。だが終わりは唐突である。

 ラストは是非作品を読んでいただきたいのだが、ヒントを出すならば、途中経過は全く違ってもスタインベックの『ハツカネズミと人間』と似ていることだ。熊太郎は死の直前に自分の心を探り「本当の本当の本当のところの自分の思い」を見つけようとするができない。「あかんかった。」が最後の言葉である。

 町田康は器用な作家である。種々のタイプの作品を書き、多くの賞を取っている。しかしこの作品は、どこかで中上健次の濃密な空間に通じるものがある。中上健次が死んだ時、多くの評論家が、文学の一時代が終ったと語った。町田康中上健次の継承者だとは思わないが、彼が音楽の世界でも活躍しているせいか、二人の作品には通奏低音が流れている。


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