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『チャイニ-ズカルチャ-レビュ- 〈v.3〉 ― 中国文化総覧』大可 張こう(好文出版)

チャイニ-ズカルチャ-レビュ- 〈v.3〉 ― 中国文化総覧

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「皮肉の利いた現代中国文化事典」

中国の大衆文化はめまぐるしく早い展開を見せている。毎年のように新しい流行語が登場しては消えていく。断片的な情報は流れてくるが、その全体像をつかむのはなかなか難しい。どの国の場合でもそうだろうが、特に中国からの情報に「文化」が占める割合はそれほど多くないため、なおさらである。



今回の「チャイニーズカルチャーレビュー」は、2001年から毎年刊行されている「21世紀中国文化地図」という本のうち、文化状況の解説部分を訳出したものである。現在、翻訳版はVol.6まで刊行されている。

主編は著名な文化評論家の朱大可である。編者や、それぞれの分野の専門家が配置された項目著者たちの、皮肉の利いたコメントも本書の魅力となっている。


本書は、文学、美術、音楽、映画、テレビ、演劇、建築、メディアという分野別に、その年の主要な出来事や、各分野の話題作を月別に並べて記述していくスタイルとなっている。そして、当該年の流行語・新語解説が最後に配置されている。

評者の手元にあるのは、2005年発行の(ということは2004年の文化状況を概観した)Vol.3である。私は特に中国文化の専門家という訳でもないので、現在は状況が少し変わっているかもしれない。


当然ながら、取り上げられている話題は多岐にわたる。ここでは評者の関心にひっかかってきたものをピックアップしたい。

文学においては、なんといっても韓寒・郭敬明などの「八〇后作家」の話題が多い。女性ではTIMEの表紙を飾ったことでも有名な春樹などの話題が見える。個人的には、村上龍がデビューした頃や、過激な女性の表現者としての山田詠美が登場した頃の雰囲気はこんなものだったのかなと思っている。

こうした作家たちを、TIME誌などの西洋メディアは「ビートジェネレーションや60年代の反体制運動が中国にも出てきた」と論じるが、これはまったく違うと編著者たちは皮肉交じりに評している。

「アメリカ1960年代の若者たちによるあの大規模な運動は、資本主義経済体制と中産階級のライフスタイルに対する全面的拒絶と打破を意味していたのであり、自由と愛を糧とした理想の世代であった。しかし中国の若手作家はベストセラーシステムの申し子にほかならず、彼らのオルタナティブとは全て商品に貼られた風変りなラベルに過ぎない。その商品こそがベストセラー作家本人なのである」(194)


また、儒教復権を中心にした「文化的保守主義」をめぐる論争が紹介されているのも興味深い。儒教復興にともない、子供の教育に儒教の経典を活用すべきという主張と、それを文化的保守主義であるとする主張の間に論争がおこった。

 また、9月に北京で開かれた「2004文化サミット」において、グローバル化のもとで劣勢におかれた中国文化を守ろうとする「甲申文化宣言」が発表されたが、ここでもこれに対する賛否をめぐって類似の論争がおこった。

「ここに至って明らかになったのは、文化的保守主義と政治的自由主義との間の理論的緊張が、“新左派”と自由主義との闘争に取って代わろうとしており、これは中国のインテリ階層が直面せざるをえない思想的難題となっているということである」(21)と著者は述べている。


また、文化をめぐる議論に、不可避的に法制度の改正論議が付け加わる点も、中国を見る際の難しさである。分野別に、こうした点にも触れられているのも本書の有用性を増している。箇条書きで列挙すれば、たとえば以下のようなものがある。

・2004年春の改革による出版の市場化

・国産アニメ産業の発展促進として、テレビ局に輸入アニメと自国産アニメの放送量の比率を4:6にするという通達

・暴力ドラマ、革命名作ドラマ、ゲーム番組について規制を強化する通知。これにより一時すべてのゲーム番組が打ち切りになった

外資を含む民間資本が映画産業に参入できるようになった法改正

・建築においては、第10全人代・第2回会議で私有財産権が一般の民事権利から憲法上の権利に格上げされたことで、国有建築企業の改革の法律的環境が整備された


新語・流行の分野では、インターネットに関する記述が目立つ。

たとえば「金盾工程」は、1998年に構築が開始され数百億元が投じられた、2006年に完成予定(だったところ)の、、公安省が所有権を持つ「公安総合情報ネットワーク建設プロジェクト(公安総合信息網絡建設工程)」である。ネット監視だけでなく容貌識別・有線テレビ・クレジットヒストリー・インテリジェントカードなどを含めたネットワーク分散型監視制御データベースである。

「敏感詞」は、ネットでシステムがフィルタリングする禁止語であり、他国では児童への悪影響を考慮して行われるが、中国では「政治的に正確でない」ことに対する予防となっている。政権与党の略称「中共」や憲法に記載されている「人権」まで入っていて、過敏と言わざるを得ないと評されている。

著者たちは改革志向の批評家なので、こうした管理には一貫して批判的であり、またこの年に汚職スキャンダルを報道して休刊を余儀なくされた「南方都市報」と「新週報」の件にも随所で触れられている。


他に、これもネットと関係するが、対外的な軋轢にまつわる諸事件もいろいろ記述されている。韓国が「江陵端午の節句」を国家遺産リストに入れ、ユネスコ無形文化遺産に申請する予定だという文章が人民日報に掲載されたことで、政府関係者からネット世論に至るまで中国からの反感を買った事件も、2004年だった。中国は逆に、高句麗の遺跡を世界文化遺産登録しており、この頃からすでに両国の感情的軋轢は深刻だったのだなと思い返す。

他に、8月にナイアガラの滝ツアー中に中国人女性が警官に殴打され、反米感情民族主義的抗議が巨大化した事件もあった。著者たちは、こうした吹き上がりに対しても、冷静で皮肉の利いたコメントをしている。


最後に、日本でも中国市場に対する注目が高まっているが、「新富」つまり「ニューリッチ」という新語に対する解説を見てみよう。

「ニューリッチは訳が分からぬ概念だ。世帯月収が5000元以上というが、この金額は上海・北京では衣食に困らないラインをなんとか上回る程度である。自分の不動産を所有しているといっても、ほとんどがローン払いである。金融資産を持っているといっても、数枚の株券とキャッシュカードに毎月残される雀の涙程度の貯蓄だけである。自家用車を持っていても大多数はフォルクスワーゲンのボロに過ぎない。【中略】彼らはみな大学を卒業したてで、9時5時で懸命に汗を流して働き、毎月の家賃とローンで四苦八苦しているというのに、彼らを“リッチ”だと言いたてる者が出てきたのだ」(254)。


こうした本が訳出されるのは、両国の知的な交流にとって非常に有用であると思う。扱われている対象の多くは「サブカルチャー」だが、全体的に文芸・芸術の伝統というか、ハイカルチャーの香りが漂っている点は中国らしい。情報量が多い上に、読み物としても楽しい一冊である。

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