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プロの読み手による書評ブログ

『芥川龍之介と腸詰め(ソーセージ)-「鼻」をめぐる明治・大正期のモノと性の文化誌』荒木正純(悠書館)

芥川龍之介と腸詰め

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鼻で笑えない新歴史学の芥川論

副題を見ると「鼻」白むしかない(何をしようとしているか即わかってしまうからだ)が、メインタイトルを近刊案内で見た時には、あの怪物的大著『ホモ・テキステュアリス』の荒木氏がついに本気で「日本回帰」の企てに!とワクワクしたのである。荒木正純氏はぼくよりひとつ上。ぼくより少しだけ上の英文学者はどうもろくでもない者ばかりで意に介すこともほとんどないが、唯一の例外が荒木氏である。ポスト構造主義と一括りされる批評全体のトータルに見てそうたいしたこともできなかった動きを代表する論客でありながら、その幼稚な自己満足に陥ることのなかった珍しい才物である。

大変素直な人で、「あとがき」でも「わたしが文学理論に強い関心を抱き・・・テキスト論的読みの実践活動に従事し、地道な個別作家の研究をしてこなかった」とし、表象論および新歴史学によって芥川の『鼻』を切ってみる、とさらりと言ってのける。「著者が新しい欧米の理論を使い、従来とはことなる切り口を本書で呈示できているとご判断頂ければ、それは著者のねがってもない喜びである」、と。随分とお気楽だが、しかし狙いは十分果たされた。

「従来の」『鼻』研究は、主人公禅智内供の鼻が「腸詰」のようだとする比喩に、それが比喩というどうでもよさそうな文飾(「仕方がない」モノ)であるが故に全く注意を向けてこなかったが、本書では、他にもいろいろたとえようもあろうのに、何故わざわざ明治末から大正にまるで馴染み薄だった西洋渡来の「腸詰」の比喩なのか、新歴史学のテキスト処理、細かいデータの提示によって明らかにする。

しかも、細密データの中核は近代デジタルライブラリー『読売新聞』明治・大正期データの徹底検索によって得たもので、「鼻」であたり、「腸詰」であたり、「肉食」であたってヒットした材料相互を徹底分析する、というやり方だ。批評にも来るべきものが来たと思わせる。

たとえばある日の新聞にあたると、高木敏雄の「世界童話」連載において鼻をめぐる童話が掲載された回の「同一紙面」に、「毎日の惣菜」というコラムがあり「トマトサラダ」のつくり方を教えているかと思えば、「淋病治療器」発明についての報道記事があるという具合で、旧来のアプローチでは絶対引っ掛からなかったような「仕方がない」材料が、完璧な同時代性の中で相互連関したものとして眼前に現れる。ウィキペディアなど含めネット検索による情報獲得については、学生たちのレポートの劣化・均質化といったネガティヴ面が危惧されているが、戦略的に使われると凄いもので、検索データがどんどん繋がり「批評」が構築されていく現場をかくまで魅力的に見せつけられると、確かに新しい局面を迎えているのだと痛感せざるを得ない。

どんどん繋がりがついていくところが荒木氏の新歴史派的修練の独自な所産でもあるし、「顋」という字には「思」が含まれ、「茹」は「茄」に似ているといった、たとえば名著『漱石論』の芳川泰久にも近い精密なエクスプリカシオンの勘の冴えでもあって、このレベルになると、ただもうふうんと感心してしまうよりない。あるいは芥川が依拠したかもしれないあるソースでは「禅珍」だった主人公の名が「禅智」に変わった理由。それはもう単なる言葉遊びでは終わらず、この作そのもののメッセージと重なっていく。

確かに「従来とはことなる」何かが始まって紙面に生動している。次に何がくるのだろうと息を詰めさせる批評なんて英文学界(いや今や国文学界か)では何年ぶりだろう。『鼻』の草稿原稿を検討する手堅い標準的な手続きから始まる。禅智内供の鼻は最初は「大柑子の皮」にたとえられていたのが「赤茄子」、「烏瓜」と変わり、そして「腸詰」にと「転換」されたらしい。ただたとえが変わったのでなく「鼻に付随した説明空間」が変化したのだ。つまり肉食という問題があぶりだされ、それが僧侶と結びつく。僧侶の妻帯という時代の大問題がそこには隠され、「廃仏毀釈」政策に則って僧たちを堕落させようと目論んでいた明治日本の国策があった。しかも僧たちのそうした「邪淫戒の破戒」を表象として芥川は自らの性の葛藤を描いている。

鼻が「陰茎」だ「性欲」だのの象徴である、という結論だけなら別に、である。明治末からの隆鼻整形手術言説、手淫言説、あるいは「花柳病」言説の中に置かれてみると、納得。「ハート美人」の名で国産コンドーム第一号誕生というコンテクストに芥川の初期作品群を置いて、荒木正純は旧套人文系各方面の鼻を明かしたと言える。

洋もの文献の徹底排除。それはそれですがすがしいが、P.バロルスキーの“Michelangelo's Nose”(邦訳『芸術神ミケランジェロ』)は一考に値しますよ。

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