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『最新調査 日本の“珍々”踏切』伊藤博康(東邦出版)

最新調査 日本の“珍々”踏切

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「踏切のそばで電車を眺めていた幼い日々(=昭和時代)を思い出す一冊」

 本書は、日本全国の中から選りすぐりの面白い踏切について、著者が自ら撮影した数々の写真とともに紹介したものである。2005年に出された前作『日本の“珍々”踏切』に修正を加えたアップバージョンにあたる。

 まさに『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)にぴったりの内容だと思っていたら、著者の伊藤博康氏は、前作の出版後すでに同番組に出演されていたという(なお伊藤氏は、日本を代表する鉄道ファンサイト、『鉄道フォーラム』のマネジャーでもある)。

 本書は、全体を通して読み進める大作のようなものではないので、むしろ時間の空いたときに、楽しみながらランダムに読み進めたい。目次を眺めて気になった踏切の紹介から、読んでいくのがよいだろう。

 個人的には、新幹線や地下鉄の踏切(それぞれ、P104、P62))、あるいは残りわずかになった山手線の踏切(P60)といった存在自体がレアなものや、ローカル私鉄に存在する、きわめてシンプルな「素朴な踏切」(P52)などが興味をひかれた。

 さて、本書はその軽い文体の一方で、示唆しているテーマには深いものがあるようにお思えてならない。

 そもそも、なぜ一冊の本にまとめられるほどに踏切とは面白いものなのか、あるいは、その前に立つと、どことなく郷愁を感じてしまうのはなぜなのか。

 この点について、著者は「踏切の懐かしさ」と題する前書きで以下のように記している。

「それは、一昔前の人間関係に似ている。わずらわしくて、やってられない。だけど、そこで人はあれこれ考え、学び、鍛えられるんじゃないか。それに、何よりその「しがらみ」のおかげで、人は孤独を忘れていられるのだ。」(P3)

 「しがらみ」の多い「一昔前の人間関係」に踏切を例えるこの指摘は、的を射たものといえるだろう。鉄道においても立体交差化が進む中で、少しづつではあるが踏切はその姿を消し始めている。

 

 いわばそれは、システムがより円滑に機能するように改良が進められていくことで、かつて存在したノイズがますますなくなっていくということである。

 だが、ノイズのまったく存在しない社会ほど怖いものもないだろう。いわばそれは作動するシステムに対する想像力を欠いた社会であり、人々が思考停止に陥った社会ともいえる。

 かつて社会学者の見田宗介は、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』を分析しながら、鉄道は「想像力のメディア」であると評したことがある。つまり鉄道とは、今ここにある現実の出発駅から、ここではないどこかにある理想の終着駅に向かって、人々の想像力を掻き立てていく存在だというのだ。

 だからこそ、鉄道好きの幼い子どもたちは、いつまでも飽きることなく、踏切で電車が通り過ぎるのを眺めようとするのだろう。幼い日の私も、そして私の息子にもそうした体験がある。踏切は、そんな鉄道にもっとも接近して、もっともリアルに感じられる場所であり、だからこそ最も想像力が掻き立てられる場所なのだろう。 

 もちろん、このように記したからと言って、踏切そのものを残すべきだとか、何か「文化財」のように扱うべきだとかいうような、ベタなことを言いたいのではない。

 そうではなくて、むしろますます便利になりノイズが失われていく現代社会の中で、どのようにしたら我々が想像力を枯渇させずに済むことができるのか。本書が問いかけているのはそうしたテーマではないだろうか。

 だからこそ、鉄道ファンの方にも、そしてそうでない人にも、強く本書をお勧めしたい。


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