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『島秀雄の世界旅行 1936‐1937』島隆 監修 ・高橋団吉 文(技術評論社)

島秀雄の世界旅行 1936‐1937

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東海道新幹線のルーツを辿る紙上旅行」

 島秀雄といえば、十河信二とともに「新幹線の生みの親」として、鉄道好きでなくともその名が知られていよう。国鉄の技師長を務め、新幹線以外にも数々の名車や名機関車の開発に携わった技術者である。


 本書は、その島秀雄が1936年から1937年にかけて、鉄道省の在外研究員として、海外視察旅行に行った際に撮影した、膨大な枚数の写真の一部に説明を加えたものである。コラムなどの文章は、『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(小学館)の作者でもある高橋団吉氏が担当している。

 1年9カ月に及んだこの旅行は、横浜から船で出発し、中国や東南アジアを経て、マルセイユに至り、1年近くヨーロッパ各地を視察した後に、南アフリカを訪れ、さらに南米各地を巡って、アメリカを経て帰国するという、文字通りの世界一周であった。

 帯文にもあるように、「第二次大戦前夜、そして機械文明絶頂期の記録」である本書は、ただ眺めているだけで、時がたつのを忘れてしまうほどの魅力がある。ベルリンオリンピックの開会式や、ニューヨークの摩天楼など、機械の息吹を感じるような時代の様子は、よくアニメでも描かれることがあるが、私にはこれらの写真の方がはるかにリアルに感じられる。また、高橋氏のコラムも実に説得力のある読み応えのある文章ばかりだ。

 実は、島秀雄はこの10年前にも海外視察に出掛けており、さらに父の安次郎も、20世紀初頭に3回ほど海外視察に行っている。だが、とりわけこの1936~1937年の海外視察が重要なのは、その途上で、後の東海道新幹線に至るアイデアを思いついたからだという。

 それは、1937年の4月、オランダのロッテルダムに船が寄港した際、ライン河岸を走る近郊電車が行き交う光景を眺めながら、おぼろげに浮かんだイメージなのだという。

 当時、あるいは今日に至っても、多くの鉄道においては、機関車が客車をけん引する「動力集中方式」が主力であった。だが、動力を機関車に集中させることで、そこに重さも集まるため、路盤の脆弱な日本の鉄道には不向きであった。そこでむしろ、全車両にモーター(M)を取り付ける「動力分散方式(オールM式)」が後の新幹線では採用されることになるのだが、その原点とも言うべき着想は、この旅行時に浮かんだものだという(島自身は、この方式を「ムカデ式」と呼んでいたという)。

この点について、高橋氏はコラムで以下のように記している。

ムカデ式すなわち「オールM式」は、いたって単純である。天才的な閃きが生み出した発明でもないし、複雑な思考と技術の集積でもない。合理性を率直に推し進めていけば、徹底的に考え抜くことさえできれば、誰でも辿り着くことのできる普遍性をもっている。

しかも、お手本は目の前に転がっていた。近郊電車や路面電車は世界中の主要都市で走っていたのである。(P188)

 このように、新幹線が「天才」による突然のひらめきや発明によるものではなく、地道な努力の積み重ねによって、半ば必然的に生みだされたものであるという指摘は、まさに正鵠を射たものだというほかないだろう。

 そして島秀雄が、余人を寄せ付けない驚異的な天才であったというより、むしろ実直な技術者であったことは、本書を読み進めればおのずから明らかとなっていく。例えば、この視察旅行は、後世からするならば、新幹線の着想を得た機会と評されるのだが、むしろ当時の島自身の考えの多くを占めていたのは、新型の蒸気機関車の開発であり、そのために同じ狭軌(1067㎜)でありながら、高性能の蒸気機関車を走らせていた南アフリカの鉄道の視察こそが最重点課題であったという。そのため、残された写真を調べていくと、ヨーロッパ各国の名機関車をほとんど撮影せず、むしろ南アフリカ蒸気機関車ばかりを撮影していたという。

 このように本書は、歴史的な資料としても一級品の価値を持つといえるが、ここに掲載されているのは、残された写真の一部に過ぎないという。また本書ですら、コストの面で見合わなかったために、幾度も刊行が見送られてきた経緯があるとプロローグ(P10)には記されている。

 巷では、鉄道ブームといわれ、関連するイベントや博物館などにも多くの人が集まっているというが、本書やあるいはそれに関連した未収録の写真、さらにはそのほかにも貴重な歴史的資料の多くは、十分な検討や保存をされないままになっていることが多い。

 だからこそこのブームも、一過性のものとして終わらせてしまうのではなく、むしろ今日の日本社会の来る由縁をじっくりと掘り下げていくための、きっかけになればと願わずにいられない。そしてそのためにこそ、鉄道好きもあるいはそうでない人も、本書のような著作と、向き合っていただきたいと思う。


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