書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『カレチ』池田邦彦(講談社)

カレチ

→紀伊國屋書店で購入

「「リスク」だけでなく「キセキ」をも語ること」

 本書は、昭和40年代後半を舞台に、当時の国鉄大阪車掌区に勤務する新米「カレチ(長距離列車に乗務する客扱専務車掌)」の日常を描いたマンガである。


 鉄道ブームの昨今、それを題材にしたマンガは世にあふれているが、車輛のデッサンから運行する側の実態まで、きちんとディティールにこだわった作品はそう多くない。この点からも、作者の鉄道に対する造詣の深さがうかがえる。

 丹念に参考文献にあたりつつ、おそらくは実際にあったエピソードなどを下敷きにして作られたであろうストーリーの一つ一つは感動的であり、時に涙をこぼさずにいられない。

 また本書は、いわゆるノスタルジーもののマンガとは、はっきりと一線を画している。その点は、ノスタルジーものが昭和30年代を舞台にすることが多いのに対して、「少し前の社会」である昭和40年代後半を舞台としている点にも表れている。一つ象徴的なエピソードを取り上げてみよう。

 2巻に収録された第14話「列車指令」というエピソードがある。新大阪駅を出発する夜行列車に、翌朝分の新聞を積み込もうとしたトラックが途中で事故に巻き込まれてしまうという話である。発車してしまった列車をトラックは必死で追いかけるが間に合わず、ついに誰もがあきらめかけてしまう。だが、主人公の「カレチ」が思いついた妙案でどうにか積み込むことに成功し、新聞は無事に届けられる。そしてトラック運転手が帰宅後に、自宅に届けられた新聞と牛乳を手に、次のようなセリフをつぶやく。

「当たり前ってのは……実はすげえ事なのかも」(P147)

 おそらく、こうした「少し前の社会」が懐かしいのは、今よりも科学技術が未発達で人情味のあふれる時代だったから、だけではない。むしろ、科学技術の進歩を肌身に感じつつ、その恩恵をリアルに感じられていたからではないだろうか。

 確かにこのエピソードも、人情ものとして読むことができないわけではない。与えられた職責を超えて、なんとか新聞を積み込もうとするトラック運転手、そしてそれを待ち望んで奮闘する「カレチ」や列車指令の国鉄職員たちの姿は感動的である。

 だが、彼らの努力に見合うだけの成果がもたらされた背景には、科学技術が作り上げた精緻な運行システムがあったことを忘れてはならない。

 「○○駅で積み込めなかったら、××駅に△△時までに到着して下さい」といった指示が出せたのは、数分と違わない正確なダイヤで列車が運行していたからであり、そしてそれを支える精緻なシステムが存在していたからである。つまり列車が遅れてくるのが常態化しているような社会では(そしてそのほうがはるかに多いのだが)、このエピソードは成立しなかったのである。

 言うなれば、この「少し前の社会」とは、人間の力で引き起こされた「キセキ」がいくつも存在していた時代だったと言えるし、そうした「キセキ」がリアルに体感しえた時代だったとも言えるだろう。

 さて、ここでいう「キセキ」とは、神が引き起こしたりするものや、あるいは自然界において偶然生じるような「奇跡」とは区別して考えなければならない。そうでなくて、人間が起こす「キセキ」とは、人智を積み上げた上で、それを完全にマニュアル化しないで、時に自分の判断をまじえながら主体的に使いこなしていくときに生じるものである。

 よって本書が描きだしているのは、時に上司や同僚に怒られながらも、主人公の新米「カレチ」荻野氏が引き起こしていく「キセキ」の数々である(ネタばれになるから、これ以上のエピソードの紹介は差し控えよう)。

 翻って、今日の日本社会では、科学技術が進歩しすぎて複雑になったせいもあって、一体、何がその恩恵で、何がそうでないのかといったことが分かりにくくなっている。

 確かに、科学技術が全てを解決してくれると言った、盲目な科学技術信仰や万能論を退ける上では、思想的な成熟のためにも、肯定的にとらえるべき状況なのかもしれない。

 

 これと関連して、原発事故以降、いわゆるリスク社会論が人口に膾炙し、いかなる選択を行っても、潜在的な「リスク」は存在し続けることが自明のものとなりつつある(原発の存続も全廃も、いずれかが100%の正解ということはなく、それぞれに「リスク」は存在しつづけるため、それを比較検討するしかないということが明らかになりつつある)。

 だが、「リスク」だけを考え続けるというのは、どうにも暗くなってしまう。もっと希望あふれる話を、科学技術については考えてみたいとも思う。今日的な問題にひきつけて述べるならば、「リスク」を語る思想的な成熟がもたらされたのは喜ぶべきこととして、それを適切に使いこなした時に、人間は「キセキ」をも引き起こすということを忘れないでおきたいと思う。

 どうにも暗くなりがちな昨今において、本書に描かれた「キセキ」の数々には、本当に心が温まる思いがした。鉄道好きだけでなく、幅広い方々に、今この状況の中でこそ、ぜひお読みいただきたいと思う。


→紀伊國屋書店で購入