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『アンアンのセックスできれいになれた?』北原みのり(朝日新聞出版)

アンアンのセックスできれいになれた?

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「恋愛・性愛至上主義を相対化するために必読の一冊」

 本書は、フェミニストであり、女性のためのアダルトグッズショップの代表も務めている北原みのり氏が、雑誌『an・an(以下、本書にならって“アンアン”)』を、その創刊号から読み直した記録である。現代の女性文化の変遷を知る上で、格好の著作といえよう。直截にいえば、私自身は全ての内容に同意や共感ができるわけではないものの、現代の女性たちの文化を理解するためには、非常に資料的価値の高い著作といえる。


 氏が注目しているのは、アンアンの中でも名物特集といえる、セックス特集の記事である。冒頭にも記されているように、1989年4月に発売されたアンアンのセックス特集のタイトルは「セックスで、きれいになる」であった。

 結論を先取りすれば、本書のタイトルにもなっているように、著者の主張としては、女性たちは、「アンアンのセックスできれいになれた」わけではない。あるいは著者自身も触れているように、ただ単純に過去(のアンアン)を礼賛して、ノスタルジーに浸ることが本書の目的なのではなく、むしろセックス特集がピークを迎えていたと思われる1990年代の、異様なまでの「恋愛・性愛至上主義」を相対化することが、最大の課題なのである。

 本書によれば、そのピークは特に1997~98年の特集に見られるようだ。まず1997年には「(最高のセックス)は愛情と信頼と、すべてをゆだねられる一番好きな恋人とこそ」と記され、さらに翌年、キムタクこと木村拓哉のヌードが掲載されるとともに、「最高のセックスが、あなたを絶対にきれいにする」と、愛あるセックスが称揚されるようになる(P104)。

 だが、こうした愛あるセックスという称揚は、男性に主導権を奪われていた段階から、女性自身もセックスを謳歌することのできる自由へと歩を進めるには役立ったものの、むしろ、その後には、セックスには愛がなければならないという新たな呪縛をも生み出してしまったのだという(第5章)。

 いうなれば、女性たちが「セックスへの自由」を得た後で、「セックスからの自由」を得ることが課題として残されたということである。

 後者の自由を謳歌するということは、すなわち、先にも記したとおり「恋愛・性愛至上主義」を相対化して、より多様な快楽を追及したライフスタイルを謳歌できるようになるということなのだが、この点が、現代の女性たちにおいて、まだまだ十分に実現できてないことに、著者は苛立ちを覚えているようだ。

 この苛立ちについては、評者も大いに共感を覚える。ごく近年における若年女性の専業主婦志向の増加などといったような「保守回帰的」な傾向を考えると、「セックスからの自由」を得ることには、それなりのタフネスが要求されるとともに、そのタフネスに耐えられない若者が数多く出てくるだろうことも想像できる。

 しかし社会学者として発言するならば、おそらくそのタフネスはこれからも必須のものであるし、そうした社会になっていくものと予想される。残念ながら、そのタフネスを身につけるための処方箋までは、本書では明確には提示されていないし、評者にも名案があるわけではない。だが、しいて言えば、本書の著者のタフネスさに、継続的に触れ続けることで、徐々にそれに感化されることはあるのではないかとも思われる。

 (書評という内容からはやや外れるかもしれないけれども)具体的に言うならば、著者の北原みのり氏は、現在twitterを使って継続的に情報を発信しておられるが、これが実に興味深い内容が多い。実は、評者が本書の存在を知ったのもtwitterを通してなのだが、内容に興味を覚えた方は、ぜひtwitterで北原氏をフォローしていただきたいと思う。

 そうすることで、本書を読んだ体験が、一時のものとして忘れ去られずに、継続的に「セックスからの自由」を模索することにつながっていくのではないかと思われる。


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