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『スカイツリー 東京下町散歩』三浦展(朝日新聞出版)

スカイツリー 東京下町散歩

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「「厚みのある再帰的近代」を生きるために」

 本書は、『下流社会』(光文社新書)などの著作で知られる三浦展氏が、東京の下町を丹念に歩きながら記した著作である。下町といっても、浅草や神田といった典型的な地域ではなく、むしろ、押上、向島、北千住、立石といった隅田川の向こう側に広がる地域に注目しているのが特徴である。


 これらの地域に注目した理由は、それが大正・昭和初期以降に発達した「新しい下町」だからという。この点について三浦氏は、序章で、東京の下町が4つの段階を経て拡大してきたという「下町四段階説」を展開しながら、本書ではあえて伝統文化が色濃い第一・第二下町(神田や浅草)ではなく、モダニズムを感じる第三・第四下町を取り上げる理由を説明している。

 たしかに、神田や浅草に関するガイド本は世にあふれているが、これらの地域を対象としたものとなると、いわゆる「ディープな散歩」本ぐらいしかない。また、これらの本が、ピンポイントに個別の特殊なスポットを取り上げがちなのと比べて、本書では、幾重にも興味深いストーリーが組み入れられており、それゆえに、つまみ食い式にではなく、つい冒頭から最後まで読み通してしまう著作になっている。

 たとえば、序章での下町の拡大に関する歴史的なプロセスの説明に始まり、続く第一章では著者自身の王貞治選手に対する思い入れから、王選手が少年時代を過ごした墨田川東岸から散歩が開始されている(「世界一の電波塔のスカイツリーの足元に、もう一つ世界一があった。」(P18))。そして、著者独自の観察眼から、有名な建築物というよりも、むしろそこここに存在するような些細な建築物の中に、かつてのモダニズムの残り香をかぎ分けながら記述が進められていくのである。

 この著作を読みながら、私は社会学者のアンソニー・ギデンズらが唱える「再帰的近代」という概念が頭によぎった。「再帰的近代」とは、ただ単純に近代化を進めていくような時代とは異なる概念である。いわば、ある程度の近代化が達せられた成熟した社会状況において、自己反省的にこれまでの近代化過程を振り返り、その問題点を認識しつつ乗り越え、さらに近代化を進めていくような状況を言う。

 すでに高度成長期がはるかに過ぎ去った日本社会は、まさにこの「再帰的近代」にあるといえるだろう。しかしながら、この概念の意味するところが頭の中では分かっていても、なかなか実感を持って理解するところまでは至っていないのも事実であった。というのも、日本社会における、自己反省的に振り返るべき「近代」とは何なのかが、(少なくとも私にとっては)これまで明白ではなかったからである。

 だが、本書に出会うことで、それが幾重にも積み重なった厚みのあるものであることを、はっきりと認識することができた。それは、東京という街の発展・拡大の歴史に色濃く表れていよう。今、日本の首都として、あるいはアジアを代表する大都市として時代の最先端を行くこの街は、一足飛びに、江戸から東京へと変貌を遂げたのではない。

 それは、序章で述べられていたような、第一から第四にまでわたる下町の段階的な拡大の過程、さらにはその後の、新宿から渋谷へと至るような山の手の拡大の過程をたどって、時代ごとに特色のある文化を積み重ねてきたのだ。

 つまり、いうなれば東京とは、時代ごとの街のありようが幾重にも展示された、巨大なフィールドミュージアムのような空間なのである。

 このフィールドミュージアムを十二分に見聞するためには、ケータイやインターネットに頼っていてはいけない。時代ごとの「展示物」の境界を、縦横無尽に横断しながら知見を広めていくためにこそ、散歩という、最もアナログな手法が必要となるのである。この点においても、各種の検索エンジンを駆使すれば、相当量の情報が手に入るインターネット全盛のこの時代において、あえて自分の足を使って情報を集めてきた、本書の価値が光るところである(また、あとがきにもあるように、本書はあえて手書きによって書かれたのだという。おそらくはそのことが、好きなところからつまみ食い的に読ませるのではなく、冒頭から一気にストーリー性を持って読ませる文章を生み出した秘密なのかもしれない)。

 また、私自身の体験談にひきつけて言えば、たしかに昨今の郊外化の中で発達する巨大なショッピングセンターについて、その便利さは認めつつも、どこかに無味乾燥さを感じ、もっと楽しい都市空間のありようはないものかと思い続けていた。だが、その対抗馬として、ショッピングセンターが駆逐した、かつてのデパートのありようをノスタルジックにぶつけたところで、説得力に乏しいというのも事実だと思っていた。しかし、山手線の左側の地域を往復するだけで毎日を費やしている私には、それ以上の想像力も働かなった。しかし本書を読み進めるうちに、下町のありようという新たな選択肢を見つけることができ、都市空間に関する考え方を大きく広げることができたのである。

 おそらくは、巨大ショッピングセンターの進出に伴う郊外化の進展と都市中心部の衰退は、日本全国に遍在する問題点であろうから、この点についても、本書と三浦氏のかつての著作『ファスト風土化する日本』(洋泉社新書)などを読み比べると、議論が深まるのではないかと思われる。


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