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『進撃の巨人』諌山創(講談社)

進撃の巨人

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 強大な怪物。宇宙人。自然災害。大事故。ある日突然人類を襲う災厄。私はパニック映画が大好きです。抗うすべもなく逃げ惑う登場人物たちがむかえる残酷な行方をじっと観察するのが好きなのです。悪趣味でしょうか。しかし私は知りたいのです。来るべきその日、どう行動すべきなのか、どうすれば生き延びられるのか、本当に真剣に研究しているのです。

 研究から得るものはたくさんあります。地球温暖化による大洪水から逃げ惑う「デイ・アフター・トゥモロー」。この映画からは強靭な脚力が生死を分けることを学びました。そこで私はランニングを始めました。「宇宙戦争」を観てからは、ヒールの高い靴も履かないようにしています。宇宙人に捕獲されたとき絶対にこう思うだろうからです。「私、なんだってこんな日に走りにくい靴をはいてきたんだろう」と。

 こうして地道に研究を進めていた私は、ある日、書店で漫画『進撃の巨人』を見つけて立ちすくみました。「この漫画には何かある」直感した私は全巻買って帰りました。直感は当たっていました。1ページ目をめくった瞬間から、今まで観たことも聞いたこともない「来たるべきその日」にひきずりこまれてしまったのです。

あ……ありえない。巨人は最大でも15mのはず……! 50mの壁から頭を出すなんて――。

進撃の巨人』は衝撃的なシーンで幕を開けます。高層ビルのようにそびえたつ壁から中を覗きこむ巨大な顔。それを見る人々の表情は停止しています。

周知の通り今から107年前、我々以外の人類は……皆、巨人に食い尽くされた。その後、我々の先祖は巨人の越えられない強固な「壁」を築くことによって、巨人の存在しない安全な領域を確保することに成功したが……それも5年前までの話……。諸君の中にはその場に居合わせた者も少なくないだろう。5年前、惨劇は再び起きた。

 100年もの間信じ続けて来た安全な領域。その安全が脆くも崩れ去った時、人類はどうすべきなのでしょうか。より安全な場所に逃げる。それが今までのパニック映画の答えです。災厄の中心から逃れさえすれば、どこからともなく勇気ある科学者や兵士が現れて、災厄をなんとかおさめてくれるからです。

 しかし『進撃の巨人』の世界には、災厄をおさめてくれる人など現れません。人類はひたすら無力です。衣服も着けず、顔にうすら笑いを浮かべている巨人たちは、意思疎通は愚か、その行動を予測することもできません。さっきまで果敢に戦っていた仲間が巨人に生きたまま噛み砕かれる様を目の当たりにしてしまったら、勇気という言葉すら空しくなってしまいます。

なんで……。なんで僕は…仲間が食われてる光景を…眺めているんだ…。どうして僕の体は動かないんだ…。

 この世界では逃げることすら許されていません。逃げればそれだけ巨人の侵略を許すことになり、残された生存可能な場所をめぐって人類同士の殺し合いが起きてしまうからです。強大な巨人に捨て身でたちむかう他、人類が生き延びる道はないのです。この物語の登場人物は皆、私たちと同じ感覚を持った普通の人々です。彼らは正気を失うほどの恐怖を感じています。あまりの恐怖に我を失う者、パニックを起こす者もいます。極限状態に置かれた人間の心をこの物語は残酷なまでに緻密に描きます。いつしか私は、巨人と戦い続ける人々と一体となっていました。巨人との凄惨な戦いの中で私は繰り返し考えます。真に「生き延びる」ということがどういうことなのかを。強靭な脚力で、走りやすい靴で、ただ逃げることが人類の「生」なのかどうかということを。

なぁ…諦めていいことあるのか? あえて希望を捨てて現実逃避する方が良いのか? そもそも巨人に物量戦を挑んで負けるのは当たり前だ。4年前の敗因の1つは巨人に対しての無知だ…。負けはしたが得た情報は確実に次の情報に繋がる。お前は戦術の発達を無視してまで大人しく巨人の飯になりたいのか? ……冗談だろ? オレは…オレには夢がある…。巨人を駆逐してこの狭い壁内の世界を出たら…外の世界を探検するんだ。

 恐怖から逃げることは一時的な避難にすぎません。奪われたものを奪い返し人間としての尊厳を取り戻すまでは、災厄は決して終わらないのです。主人公のエリンもそう言い続けます。彼の夢は、壁内に侵入する巨人を駆逐して安全な領域を守り続けることではない、巨人に奪われた「外の世界」を奪い返すことです。抑えても抑えてもこみあげてくる恐怖の、その先に見える夢、それを信じることで人は恐怖に打ち勝つことができるのかもしれません。私はそのことをこの漫画から学びました。私の研究はまだ続きます。


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