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『Pop Culture and the Everyday in Japan : Sociological Perspectives』Katsuya Minamida & Izumi Tsuji eds (Trans Pacific Press)

Pop Culture and the Everyday in Japan : Sociological Perspectives

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「本当の「文化の時代」を考えるために」

 「文化の時代」というキャッチフレーズがもてはやされたことがある。大平内閣のころ、1980年代の初めごろである。

 いわく、これからはお金では買えない満足感の時代、そういうライフスタイルが中心となる、というものだったが、内実はバブル絶頂期へと向かう「経済の時代」の余技のようなものでしかなかった。

 「企業メセナ」という言葉がもてはやされたのも1980年代だが、やがて90年代の到来とともに、企業は文化的活動から次々と撤退し、長期的な不況の続く今日に至るのである。

 だが、こうした状況こそ、本当の意味での「文化の時代」が到来したと言えるのではないだろうか。もはや右肩上がりの経済成長など、到底望めないような成熟した社会状況にこそ、文化的な快楽を中心にしたライフスタイルを構想していくべきなのではないだろうか。

 こうした現状に比して、この社会においては、文化を捉える視点があまりにも貧しかったと言わざるを得ない。

 一つには、過剰に否定的か、肯定的な議論に偏りやすいという問題点がある。かつての、大衆文化をめぐる議論を見ても、あるいは今日にまで至る若者文化に関する議論を見ても、そこには、外部からの一方的な批判と、内部からの自己肯定との対立が繰り返されてきた。いわゆるオタク文化に関する議論についても、同様の構造があてはまる。

 さらにはこの点とも関連して、議論のベースがその時々に輸入された学問に依拠しがちで、深みのある継続的な研究がなされてこなかったという点も指摘できる。

 例えば、バブル経済の崩壊した90年代以降、英米圏に端を発するカルチュラル・スタディーズと呼ばれる批判的な文化研究の潮流が日本においても広がっていったが、評者もこの潮流に対して、一定の評価をしつつも批判的な立場を取ってきた。

 それは、現代の文化を研究するチャンスを拡大してきたのがカルチュラル・スタディーズの貢献であることは否定しがたい事実であるとしても、アプリオリに前提とされがちな批判的な視点が、日本社会の状況を分析するのに適していると思われなかったからである。

 本書、『Pop Culture and The Everyday in Japan 』は、こうした経緯を踏まえて、現代日本社会における文化状況を、あくまで経験的・実証的にとらえることを企図して、編集された論文集である。

 その特徴を一言で言うならば、幅広い社会的文脈から文化を捉えなおそうとしている点にある。

 したがって、そこで扱われている事例も幅広い。オタク系のキャラ「萌え」の文化やアイドルファンの文化に始まって、若年層の労働問題やナショナリズムの問題にまで及ぶ。だが、一見バラバラに扱われたこれらの事例が、読み進めていくうちに、今日の日本社会を表す個別の断面として、徐々につながって感じられてくることだろう。

 また第Ⅱ・Ⅲ部の事例編に先立ち、第Ⅰ部においては、現代の文化に関するこれまでの議論を手際よく整理しつつ、日本社会の現状を捉えるために適切な視座は何かという点が提起されている。

 こうした本書を貫く視座は、文化に対する「文脈化した理解」にあるといってよいだろう。過剰に否定的、あるいは肯定的になるのでもなく、あるいはその場しのぎの分析をするのでもなく、あくまで経験的・実証的に、今日の日本社会における文化状況が、いかなるコミュニケーションとして営まれているのかを冷静に記述していくこと、を企図している。

 こうした作業の蓄積は、冒頭で記したような、本当の意味での「文化の時代」ともいうべき社会を構想していく上で、重要な知見をもたらしてくれることだろう。

 本書は、元々は、『文化社会学の視座―のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化』というタイトルで、2008年にミネルヴァ書房から日本語で刊行された論文集だが、オーストラリアの出版社、Trans Pacific Pressのご厚意によって、日本語版から数年を経て、英訳版として刊行されたものである。

 とりわけ輸入学問のアリバイ作りのような浅薄な議論ばかりが繰り返されてきたジャンルの研究成果が、英訳されることの意義は決して小さくないものと思い、編者の一人ではありながらも、本書をここにご紹介させていただいた。

 諸外国において、現代日本の文化に関心を向けておられる方々は元より、多くの方に本書をお読みいただきたい。


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