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『文化と外交-パブリック・ディプロマシーの時代』渡辺 靖(中公新書)

文化と外交-パブリック・ディプロマシーの時代

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「立ち遅れる日本の文化外交に対する警告の書」

 先日、とある大学で文化社会学について話をしていたとき、受講生から次のようなコメントをもらった。

 すなわち、その概略を記すと、「文化のような表層的な現象を研究することに何の意義があるのか」というものであった。おそらく、経済や政治のようなことがらこそが、社会の本質であり、文化はせいぜいの日々の余暇にしか役立たような、表層的なことがらではないのか、という疑問なのだろう。

 これが集中講義の初日に出てきたことに多少驚きつつ、そうした発想こそがまさしく表層的なのだということを熱弁していったのだが、残念ながら当該の学生は2日目以降来なくなってしまった。

 だが、「経済一流、政治は二流、文化は・・・?」と言われてきた日本社会において、こうした発想は決してこの学生だけに限ったものではないのだろう。

 

 評者は社会学者であり、社会学者は社会現象の記述や理解を主たる仕事としているので、ことさらに「役立つ」ことや、「○○すべきである」といったべき論に与することを潔しとはしない。だが今日の社会において、文化(およびその研究)がいかに重要なものであるのかという点について、それをある一側面からわかりやすく教えてくれるものとして本書を評したいと思う。

 本書は、今日の国際政治において、文化がいかに重要なファクターであるかという点を、パブリック・ディプロマシーという概念を用いながら説明している。パブリック・ディプロマシーとは、いわゆるオフィシャルな外交とは違って、文化の交流などを通じ、公的機関だけでなく民間機関も交えながら、他国の国民や世論に働きかけていく外交活動のことである。

 例えば、先進的なヨーロッパ諸国の文化センターにあたるものが日本国内にも多々存在する。フランスであれば日仏学院があるが、そこでなされているのは、いわゆる「カルチャーセンター」のような講座であったり、たんなる語学学校の授業ではない。表面的にはそのように見えるかもしれないが、知られるようにフランス社会にとっては、他国民にフランス語を伝えることは、開かれた文明そのものを伝えるという意義があるのである。

 あるいは本書によれば、近年では勃興著しい中国によるパブリック・ディプロマシーの展開に目を見張るものがあるといい、その典型例は、太平洋の小さな島国に対する支援に見られるのだという。かつては日本からのODAが展開されていた国々に、いま急速な勢いで中国からの支援がなされ、文化施設や体育施設が建設されている。それはこれらの国々が、規模は小さいけれども一つの国家(あるいは国連加盟国)として対等な一票を持ち合わせており、それらを取り付けることで国際政治の主導権を握ることができるからだという。

 こうした観点からすれば、尖閣諸島問題についても、それが重要でないとまでは言わないにしても、小さな島をめぐるその争いにだけ傾注することが、いかに表層的なことがらに過ぎないかが理解できるだろう。

 本書は、こうした国際政治の最先端を垣間見せてくれるが、かといって煽りたてる調子ではなく、むしろ冷静な文体で、その歴史的な背景から、学術的な意義、問題点にまで踏み込んで、バランスのよい視点から書かれているのも大きな魅力となっている。

 ぜひ多くの方にお読みいただきたい一冊である。


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