書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『ドイツにおける男子援助活動の研究―その歴史・理論と課題』池谷 壽夫(大月書店)

ドイツにおける男子援助活動の研究―その歴史・理論と課題

→紀伊國屋書店で購入

「男性問題としての社会問題を意図的に考え直すこと」

 昨年(2012年)の11月に、『男性不況―「男の職場」崩壊が日本を変える』 (永濱利廣著、東洋経済新報社)という著作を紹介した際、成績優秀者には女子学生が多いのだと述べた。そのことからも察せられるように、就職活動においても、同程度の学力であれば女子学生のほうが好結果を残すようだ。寡聞にして、私自身の学生指導経験からしてもそうである。

 むしろ逆な言い方をすれば、1社も内定が出なかったり、そもそも就職活動に真剣に向き合わず、いわゆる「就活浪人」になってしまうのは、圧倒的に男子学生ばかりである。

 こうした状況に対して、当の男子学生たちに、「君たちには気合が足りない!」とか、「男らしく歯を食いしばって耐えるんだ、がんばっていればきっといい結果に結びつく」などと力強く励ますのは、おそらく間違っている。

 というのも『男性不況』の中でも触れられていたことだが、そうした「男らしさ」自体が、社会全体でみれば、徐々に不要のものへと変化してきているからだ。

 別な言い方をすれば、新たな変化を遂げていく社会の中で、旧来の「男らしさ」が不適応を起こしているのだともいえるだろう。こうした不適応は、深刻な問題にも結びつくようだ。すでに言われていることだが、自殺者に占める割合は男性のほうが多いし、いわゆる「少年犯罪」についても、主だった事件の犯人はみな男性である。

 こうした状況から我々が学ぶべきなのは、深刻な社会問題のいくつかが、実は男性問題であるということだろう。いわば深刻な社会問題のいくつかについては、その対処を探る際に、意図的にジェンダーの視点を導入する必要があるのだ。

 本書『ドイツにおける男子援助活動の研究―その歴史・理論と課題』でも、特に第7章で中心的に取り扱われていることだが、2000年代以降のドイツにおいては、こうした「男らしさ」の不適応に関する問題点は、「男子=敗者論」として注目を浴びてきたという。

 さらに本書によれば、イギリスなどにおける先行の動向の影響もあるようだが、その結果として、先端的な教育学者を中心に「再帰的な男女共学」という理念が持ち上がり、その中から「女子援助活動」とともに「男子援助活動」の重要性が謳われ、すでに実行に移されているのだという。

 「男子援助活動」というのも、まだ日本においてはあてはめようのない新規の概念に対して、著者が作り出した訳語だが、本書では、ドイツにおけるその実態と問題点を紹介するだけでなく、実行に至るまでの歴史的・理論的な背景にまで深く分け入った分析が展開されており、非常に読み応えがある。

 評者が特に印象に残ったのは、ドイツの事例を紹介しながら著者が唱えている「ジェンダーに公正な教育」という概念である。いわばそれは、「再帰的な男女共学」という概念とも対になるものなのだが、全ての性差を無くせばよいというような理想主義的な発想ではなく、より現実的に、男性に対しても女性に対しても、そして性的なマイノリティに対しても、公正な教育をすることを想定した考え方なのである。よって、間違っても男性が「敗者」となる現状に憤って、女性を攻撃対象とするような、いわゆる「バックラッシュ」といわれる動向に与するようなものではない。

 単純には比べられないかもしれないが、それでも日本と同様に、後発的な近代化を成し遂げると共に、その後ファシズムの嵐が吹き荒れ、「男らしさ」に独特の価値観が置かれてきたドイツ社会において、こうした先進的な取り組みがなされているということは、我々にとっても少なからず学ぶところがあると言えるだろう。

 昨今では、いくつかの自治体において、意図的に「“男性”相談」と名付けられた、男性たちの問題に関する相談事業が始められていると聞くが、その数はまだまだ圧倒的に少ないし、これまた聞くところによると、西日本と比べて東日本ではほとんど実施されていないのだという。

 こうした現状を踏まえても、本書は非常に高い価値がある著作だといって間違いないだろう。やや高価で、大部の学術書ではあるが、関心のある方にはぜひお読みいただきたい。(蛇足ながら、本書で書かれているようなことができるだけ多くの方に伝わるように、そのエッセンスをまとめた新書などが世に出ることを勝手に期待したくもある。)


→紀伊國屋書店で購入