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『ぽちゃまに』平間要(白泉社)

ぽちゃまに

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「太めの少女がヒロインのラブコメ少女マンガ」

 本作は、「ぽっちゃりな女子校生」本橋紬が、ある一点で「残念なイケメン」と噂される田上幸也に告白され、その後、様々な恋愛模様を繰り広げるラブコメ少女マンガである。そして、田上幸也が「残念なイケメン」たる所以とは、「ぽっちゃりさん(=太めの女性、評者註)しか愛せない男=ぽちゃまにだったのだ!」(裏表紙より)という点であり、その設定からしてなんともユニークな作品となっている。

 一方で、設定のユニークさとは対照的に、そのストーリー展開については、(よい意味で)オーソドックスかつ古典的なものとなっているのも特徴的である。

 2年ほど前に藤本由香里氏の少女マンガ論を評した際、氏の指摘に添いながら、かつての少女マンガの核心的なモチーフが、「自分がブスでドジでダメだと思っている女の子が憧れの男の子に、「そんなキミが好き」だと言われて安心する、つまり男の子からの自己肯定にある」と記したことがあるが(『私の居場所はどこあるの?』書評参照http://booklog.kinokuniya.co.jp/tsuji/archives/2011/02/ )、本作はまさにこの古典的なモチーフに沿っていると言えるだろう。

 逆に言えば、このような凝った設定をしない限り、古典的モチーフを描くことができないという点には、今日の社会の変化が表れているようで興味深くもある。

 それはまさしく、これまた本書評欄でもたびたび記してきたように、若い世代において、そもそも恋愛や性的なことへの関心の度合いが相対的に下がりつつあり(性愛至上主義の終焉)、さらには、ファッション文化の広まりとともに、女の子がみんなキレイになっていくような変化(山本桂子『ブスがなくなる日』書評参照 http://booklog.kinokuniya.co.jp/tsuji/archives/2011/05/post_13.html)のことである。

 こうした状況下において、普通の少女ではなく、あえて「ぽっちゃりさん」を主人公にしたことで、古き良き少女マンガの世界を思い出させてくれるところに、本作の大きな魅力があると言えるだろう。一見、マンネリ化しがちに見える少女マンガの世界に、多様な関係性のパターンと持ち込もうとした狙いについては、高い評価に値すると言ってよいように思う。

 だがその一方で、少し残念な点がないわけでもない。というのも、狙い自体は非常によいのだが、ストーリー展開にはやや強引な点も見られるからである。

 例えば、イケメン田上幸也が「ぽちゃまに」になった理由が、ある突然のアクシデントによるものとして描かれていて、ややご都合主義に過ぎるのだ。それゆえ、本橋紬と恋に落ちていくプロセスも、(後に内面的な部分に触れる場面も出ては来るのだが)どちらかと言えば、外見的な部分を重視した突然の一目ぼれに近いものとして描かれてしまっていて、やや説得力を欠くと言わざるを得ないのである。

 外見だけで相手を選んでしまうのならば、美人を一方的に崇めていたこれまでの物の考え方と変わらなくなってしまい、せっかく本作が持ち合わせていた可能性がスポイルされてしまうようでもったいない。

 評者の個人的な見解を述べるのならば、田上幸也が本橋紬に惹かれるプロセスは、もう少し時間をかけて丁寧に描くべきではなかったかと考える。つまり、ややありきたりなアイデアかもしれないが、彼が「ぽちゃまに」であることは、「理由に乏しき衝動的な性癖」として描くよりも、「性愛史上主義崩壊後の社会における内面重視系イケメン」として設定し、徐々に本橋紬の内面に惹かれていくように描いた方が、リアルだったのではないかと思われる。

 だがいずれにせよ、本作における、多様な関係性のパターンを楽しもうとするその姿勢は大いに評価すべきだと思う。先月には、ぶんか社から「ぽっちゃり」女性を対象にしたファッション雑誌『la farfa(ラ・ファーファ)』も創刊されたと聞く。

 女性たちのこうした前向きなスタンスを見るにつけ、なぜ同じようなものが、男性たちの文化から出てこないのだろうという、ジェンダー論的な問題意識も芽生えさせてくれる。そんな本作を、ぜひ「ぽっちゃり」な方だけでなく、多くの方に広くお読みいただきたい。


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