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『重版出来』松田奈緒子(小学館)

重版出来

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「このマンガが「あえて」か「素」かに、出版業界の浮沈が掛かる」

 本作は、長期的な不況に見舞われている出版業界の様子について、マンガの制作過程を中心に、マンガで描き出した、いうなれば「自己言及的」な作品である。

 そもそも日本のマンガ作品において自己言及はよく見られてきた特徴だが、言及の対象が、「自己」の水準から、「社会」の水準へと移行したところに、本作の特徴がある。

 かつての著名な作家、たとえば手塚治虫藤子不二雄、少し時代が下がって岡崎京子などの作品中においても、作家自身がモデルとなったようなマンガを描くキャラクターが登場していた。場合によっては、そのキャラクターが作家自身と同じ名前だったりもした。

 そうしたふるまいは、明治期の近代小説の時代から続く、いうなれば自己の探求過程の一環であったといえる。すなわち急速な近代化の波に翻弄される中で、探求を続ける自己というモチーフは、小説からマンガを通して、一つの主要なトピックであり続けてきた。

 一方で、今日の後期近代の成熟社会においては、急速な近代化がひと段落した代わりに、「この社会」そのものが、はたして「この社会」のままでいてよいのか、という点が探求の対象となる。まさしくイギリスの社会学者ギデンズらの言う「再帰的近代」だが、「この社会」が存在していることの自明性が崩壊していくなかで、むしろ重要になってくるのは、意図的に思考することであり、自己言及的な反省の過程を繰り返しながら、「この社会」を営んでいくことが求められるのである。

 よって本作の主人公は、新人編集者黒沢心ではない。出版業界そのものであり、出版業界が大きな位置づけを占める「この社会」なのだ。

 そして本作が、「あえて」なされたもの、すなわちかなり意図的に描かれたものであるならば、出版業界にも、ひいては「この社会」の未来にも大きな希望が持てる。インターネットとの激しい競争にさらされている出版業界だが、自己言及的な反省過程を通して、その長所と短所を見つめ直し、新たな時代に適合的なありようへと脱皮できるのならば、今後も十二分に期待ができるだろう。

 本作のタイトルになぞられた言い方をすれば、出版業界そのものが「改訂版」を出すことを通して「重版出来」へと至ることができるのか、それとも他のメディアとの激しい競争に負けて「絶版」へと至ってしまうのか、この作品の成否が、出版業界の展望を示しているといっても、決して過言ではない。

 本作で描かれている内容、そしてその自己言及的な描きかたには、一抹の可能性を感じさせるところがあるのは確かだが、その一方で、本作が「素」でなされたものになっていくならば、その可能性はしぼんでいかざるを得ない。

 編集部の体育会系的で集団主義的なノリであったり、社員に求められる根性主義、戦略的な思考よりも根拠のない「運」の重視といった、出版業界に伝統的に存在する要素を、ただノスタルジックにめでるだけの作品に堕していくのなら、展望は暗いと言わざるを得ないだろう。

 正直に言って、今のところ本作の内容には、これら両者の要素が入り混じっている印象があり(おそらく現状の出版業界も同じような状況なのだろう)、その点でも、今後の展開から目が離せない作品である。


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