『さとり世代―盗んだバイクで走りださない若者たち―』原田曜平(角川書店)
「何事にも、そこそこに入れ込んで、そこそこに満足する若者たち」
さとり世代とは、今日の若者たちの特徴をうまく言い表したフレーズだと思う。もちろん「若者たち」といってもその内実は多様だし、ひと括りにすることに慎重な見方があるのは事実だ。だが相対的にみても、急激な社会変動を遂げてきたこの社会においては、まだまだ世代論は有効な分析視座だと思う。
著者の原田氏は、「ゆとり世代」を読み替えた呼称として、「さとり世代」を定義しようとする。評者もこの見方には賛成だ。
大学で教鞭をとってから10年目を迎えるが、巷での悪評とは違い、実際に接してみた印象として、評者はゆとり世代を肯定的に評価してきた。学力の面ではさほど変化はないが、それ以外の面では、明るくて自信に満ち溢れた学生が多くなった印象がある。
もちろん、この自信の裏側にさしたる根拠のないところがこの世代の弱点でもあるのだが、それでも、世の中も、そしてこの社会の先行きも決して明るくない中で、さまざまなことに前向きに取り組む学生たちが出てきたことは評価していたし、その「開き直った」かのようなふるまいを、なんと呼び表したものかと思ってきた。
原田氏は、人生経験の少ない若者が、実際に全てをさとることは当然ありえず、彼らは本当は「さとった風世代」(P230)なのだという。そして以下のように、彼らのふるまいを社会の変化に対する適応行動として分析する。
「・・・社会環境の大きな変化から自分の身を守るために、過剰に世の中に期待をして振り回されないために、ある種の処世術として、今の若者たちはあくまでクールに、客観的に、さとったような冷静沈着な態度をとるようになったのです。」(P232)
たしかに「処世術=適応行動」とする解釈は妥当だろう。だからこそ、これもあとがきで述べられているように、むしろそこから学ぶべき点が多いのは、まだまだ十分に適応しきれていない大人のほうなのかもしれない。
本書は原田氏を中心に、実際に大学生たちと繰り広げられた座談会の内容をそのまま書籍化したものである。その分、彼らのリアリティが、言葉遣いのままに感じられる著作であるところに特徴がある。
その一方でないものねだりをすれば、こうしたリアリティをさらに掘り下げた、本格的で重厚な研究成果が読みたくもなるが、それは評者も含めた研究者に課せられた使命と捉えるべきなのだろう。
いまどきの若者に関心がある大人たちだけでなく、当事者である若者たちにも、広く読んでほしい一冊である。