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『n次創作観光―アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性』岡本健(NPO法人北海道冒険芸術出版)

n次創作観光―アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性

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「新しいリアリティ、新しい観光の可能性」

 かつて、アメリカのダニエル・ブーアスティンは『幻影(イメジ)の時代』において、現代社会を批判的に捉えた「疑似イベント論」を展開した。その要点は、いうなればマスメディアが作り上げるイメージ(コピーされたもの)と、現実に存在するオリジナルとが混合し、時に逆転さえしてしまう事態を示したものであった。

 いくつもの事例が取り上げられる中で、われわれにわかりやすいものとして、「観光ガイド」に描かれたとおりの体験こそが、「もっとも現地らしい」体験のように感じられてしまうことなどが挙げられよう。観光客の期待するリアリティと、現地で暮らす人々のリアリティが大きくずれていることはよく見られることだし、後者が前者に合わせることで観光産業が成立するという側面もある。

 その一方で、今日の社会はさらにその先へと突き進んでもいるようだ。本書が取り上げている「アニメ聖地巡礼」は、まさにその典型例といえるだろう。

 宗教における「聖地巡礼」とは、唯一にして、まさに複製不可能な「聖地」だからこそ、人々が集い、巡礼が成立してきた。それと対比させるならば、「アニメ聖地巡礼」は、アニメという複製作品によって媒介された、どこにでもありそうな日常空間こそが「聖地」となり、そこに人々が集うところに面白さがある。

 本書のP45で取り上げられている埼玉県の鷲宮神社がそのはしりと言われているが、その後、郊外のニュータウンのような、まさに「入れ替え可能」な空間が、作品内容的にも「日常系」といわれるささやかな等身大の現実を描いた作品によって、「聖地」と化していく逆説的な動向が見られるのである。

 これを、「疑似イベント」ここに極まれり、と批判して見せることはたやすいだろう。だが、本書はむしろこうした現象に、「コンテンツツーリズム」の、さらにはこれからの時代の文化の可能性を見出そうとしている。

 宗教における「聖地巡礼」と対比させるならば、超越性の失効した成熟社会において、「あえて」日常的な取りに足らない空間に「聖地」としての意味を見出して、文化を盛り上げていこうとする動向は興味深いと言えるだろう。

 本書は、具体的な事例についても、多数の図表を用いながらわかりやすく解説しており、この点で「アニメ聖地巡礼」に関する格好の入門書となっている。

 また北海道大学大学院に提出された博士論文がもとになっているので、社会背景に関する分析もわかりやすくなされ、それが今日の社会においていかなる意味を持つのか、きちんと検討されているのも特徴的だ(しいていえば、理論的な検討がやや羅列的で、十分に事例とリンクしているかどうかという点に難がなくもないのだが、それは今後の課題というところだろう)。

 いずれにせよ本書は、新しい時代の現象を、新進気鋭の若手学者が果敢に分析しようとした著作として評価したいと思う。


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