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『「親活」の非ススメ―“親というキャリア”の危うさ』児美川孝一郎(徳間書店)

「親活」の非ススメ―“親というキャリア”の危うさ

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「親になるのが困難な時代の到来」

 成人式が終わり、センター試験も過ぎ、いよいよ大学入試本番に突入すると、まさに本書が扱っているようなテーマを、考えさせられる季節が今年も来たなと実感させられる。

 現在の勤務先が大学であるということもさることながら、高校3年までを過ごし、現在も居住する実家がちょうど大学のそばにあるため、その試験日当日の様子の移り変わりをこの目で見てきた。

 一番大きく変化したのは、送り迎えをする親の姿だ。かつてならば(少なくとも評者の頃はまだ)、大学受験に親がついてくることはほとんどなかった。それが今では、終了間際の大学の門の前を、大挙して押し寄せた親たちが埋め尽くしている状況である。多くの大学では、付き添いの親のための待合室を設置するのが当たり前ともなった。

 「大学生は、もはや子どもではなく半分は大人なのだから、受験に親がついてくるようでは、これからのキャンパスライフはどうなるのか」と勝手な心配ばかりしてしまうのだが、最近では、卒業後に向けた就職活動にも、親が関与するのが当たり前になりつつあり、大学によっては、親向けに就職活動に向けたガイダンスを開いていると聞く。

 だが、ここまで来ると、私の感覚ではさすがに行きすぎなのではないかとも思う。20歳を過ぎて、就職して社会人となったら立派な大人であり、もはや親が過保護に関与する余地などないのではないかとも思う。

 そして前置きが長くなったが、これと同じ問題意識を持ちつつ、より冷静な筆致で、親たちの立場にも寄り添いながら、こうした過剰な関与を控えるように訴えているのが本書『「親活」の非ススメ―“親というキャリア”の危うさ』である。

 本書の優れているところは、こうした状況を「過保護な親が増えたから」「未成熟な親が増えたから」というような、安直な心理学的な説明をせずに、冷静に社会的背景から分析しているところである。 

 評者なりに要約すれば、その主張の根拠は、今日は極めて社会の流動性が高く、そもそも若者たちがどうすれば大人になれるのかそのゴールが不明確化しており(良い会社に入れたからと言って人生の幸せが保証されるわけではもはやない)、それとともに、親という役割も不明確化せざるを得ないためだという。

 つまり、いったいどこまで関与するのが親なのかという役割が不明確化している以上、一方的に批判するのもフェアではないということになり、この分析は妥当なものといえるだろう。

 だがその一方で、社会の流動性がこれからますます高まり、若者たちが生き残るのにますますタフさが求められるのだとしたら、やはり親の過剰な関与は、どう考えてもプラスの影響をもたらすとは思われないという。

 こうした点について、「私立中学受験と就職活動は別物」「子どもの代わりに親が就活してしまうのは、アウト」といったわかりやすいキャッチフレーズで訴えつつ、最後には、流動性の高まる社会だからこそ、親たちにも、自分の人生を見つめ直し、歩み直す覚悟が求められているのだと(そしてそのことに気づくならば、親たちは子どもに過剰に関与などしている余地などないはずだと)、説いている。

 著者は、過去に法政大学キャリアデザイン学部長も務めた、まさに専門家であり、それだけにその内容は平易でありながら説得力に富む。

 今すでに大学生であったり、あるいはこれから大学生になる子どもを抱えた親御さんたちに、そして当の大学生をはじめとする若者たち、さらにこうした現象に関心のある多くの方々にお勧めしたい一冊といえる。


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