『ナチュラル・ナビゲーション』トリスタン・グーリー(紀伊國屋書店)
「世界とのつながりを取り戻す旅」
「旅」の感覚がわからなくなった。いまや行き先を入力するだけで手取り足取りのカーナビや、スマホのアプリが、たいていのところへは連れて行ってくれる。ナビゲーション技術の進歩にはどんなに感謝してもしすぎることはないが、ちらっと不安もよぎる。もしそうした機器を持たずに出かけてしまったら、すさまじい無力感にさらされるのではないか。
携帯端末に頼っていると、ありがたいけれども、自分自身が頼りなくなってくる。自分の体がたしかに覚えていた方向感覚が、どこかに行ってしまうような気がする。あらゆる空間が情報化されていて、ただなぞっているだけのような空しさもある。自分の体を使って何かをつかみとるという、かつての「旅」に託されていたあの感じは、どこへ行ってしまったのか。
本書『ナチュラル・ナビゲーション』は、そんな失われた感覚を取り戻すための格好のレッスンだ。著者トリスタン・グーリーは、飛行および航海で大西洋単独横断を果たした英国の名うての探検家。最新のナビゲーション技術にも通じているが、人類が本来持っていたわざ―道具に頼らず自分自身の心と体を使って道を切り開く作法―を「ナチュラル・ナビゲーション」と名づけて、その保存、普及に尽くしている。そんな彼の活動が結実した本書(原書2010年)は好評を以て迎えられ、英国ナショナル・トラストの最優秀アウトドアブック賞を受賞した。
コンパスやGPSといった文明の利器がない時代から、人類は大移動を繰り返してきた。その詳細はいまだ知られていないが、伝統社会に残る航海法や古代の神話などから、星などの自然の手がかりを十全に活用していたことは疑いない。問題は、それらの”しるし”に反応する身体を現代人の多くは失っていることだ。本書を読むと、著者自身の数多くの実践、古今の探検家からの見聞、幅広い文献渉猟の成果が散りばめられた豊かな記述に目を瞠る。太陽、月、その他の星々、海、風、水たまり、砂、木、鳥、虫、等々、自然界の諸相を経めぐるうちに、どこかに置き忘れてしまった感覚の回路が開かれるようだ。
科学することを教えてくれる本でもある。風が山を削りとった地形や木の生え方から方位を探るには、その前後の自然現象、因果の鎖への理解が必須だ。星の見え方から方位を知るにも、地球の自転と公転といった重なり合う要因を頭に入れておく必要がある。自然をよく見ること、忍耐強い「観察と推論」の繰り返しから、科学は始まる。現代の複雑精妙を極めた技術を最初から与えられると、「なぜ?」の探究をあきらめて結果だけを利用することになりがちだ。徒手空拳で自分の五感を総動員して自然と向かい合うとき、はじめて科学の原点に触れることができるのかもしれない。その上で、北極星から見て握りこぶし一つ分が緯度10度に相当するといった実践の知恵が生きてくる。
文系のインドア派にも、読みどころはたっぷりある。「神話をただのつくりごととかたづけてはいけない」「古代の人々は、現代の旅人たちよりずっと、周囲を読みとる技能に長けていたようだ」という著者は、神話や文学作品からの引用も散りばめて、自然を観察するノウハウだけでなく、その”美”や”奥深さ”の面も数多く紹介している。「極地探検の記録の多くから、われわれの五感は、さまざまなものが剥奪された状況に直面するほど、研ぎ澄まされていくらしいことがうかがえる」と言うように、ナチュラル・ナビゲーションは、「身体を使う旅であると同時に精神を駆使する旅」でもある。文系と理系といった区別を越える体験だ。
ナチュラル・ナビゲーションとは、著者にとって、単なる実用的な知識、例えば緊急時のサバイバルのためのノウハウといったものをはるかに超えた、「芸術的技法」であると言う。ただ手順にしたがって道を見つけるだけでは、機械に頼るのと同じで奥行きがない。自然界を奥深く理解すること、すなわち自分が移動しようとしているこの「世界を根源から知ること」によって、はじめて「自分の経験を深める」ことができる。「方法を駆使するよりも、その方法がなぜ使えるかを理解するほうが重要」なのだ。ナチュラル・ナビゲーションは、芸術と同様に生存に必要不可欠というものではないかもしれないが、知っておくと「周囲の世界を見る目に、ほかでは望むことができない新たな視点が加わるはず」だ。いわば「地球という豊かな図書館の魅力あふれる蔵書を繙くための鍵」なのだ。
とはいっても、ここまで自然と離れてしまった現代人はいまさらどうしたものか、と疑問を感じる向きもあるだろう。本書の中では、街のにおいや地形、人の流れに注目したナビゲーションも一節を割いて紹介されていて、興味深かった。「建築家や大工がどれほど野心的な建物を建てても、それは所詮、街の中の丘や川に添えられた脚注のようなものだ」という表現が印象的だった。このごろの論壇では、都市や建築の話(巨大モニュメントやショッピングモールをつくる話)が目立つように思うが、こうした謙虚な視点も街づくりには大切なのではないだろうか。どんなに都市化しても、五感を研ぎ澄ませれば、自然のはたらきはいたるところに感じることができる。
現代では、必要ならいつでもかんたんに現在位置や経路を”検索”できるが、人工物に覆い尽くされた環境のなかで、かえって自分がどこにいるのか、どこに向かおうとしているのか、という感覚を喪失しやすいかもしれない。「世界と宇宙の中でのわたしたちの位置は相対的」なものでしかないのだから、旅することは外界との「つながりの感覚」を取り戻すことでもある。著者は、自然を理解しようとするのは時間がかかるし、求めた効果が即得られるものでもないと注意を促しながら、ナチュラル・ナビゲーションを通じて、日常見慣れた風景がある日忽然と異なる姿をあらわす、「感覚が開けていく瞬間」へと読者を誘う。自然の世界を理解するには、部分に分けざるをえないが、「本当は、わたしたちを取り巻く世界で出会うすべてを、いっしょくたに味わうことにこそ喜びがある」。何につけ分断されがちな世界のなかで居心地の悪さを感じている人には、ぜひ本書を旅のお供としておすすめしたい。物理的な旅であっても、なくても。
※なお、同著者の第二作で古今の探検者たちの世界を案内する”The Natural Explorer”も、いずれ紀伊國屋書店出版部から邦訳が出る予定とのこと(担当編集者より)。楽しみに待たれたい。
※関連書として、方向感覚がもっと気になる人には、『イマココ―渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』(コリン・エラード著、2010年、早川書房)、『なぜ人は地図を回すのか―方向オンチの博物誌』(村越真著、角川ソフィア文庫、2013年)をおすすめしたい。
(営業企画部 野間健司)