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『いかにしてわれわれはポストヒューマンになったか』(未邦訳)キャサリン・ヘイルズ<br><font size="2">Hayles, Katherine N, 1999, <I>How We Became Posthuman: Virtual Bodies in Cybernetics, Literature, and Informatics</I>, Chicago: The University of Chicago Press.</font>

How We Became Posthuman

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●「情報学的人間像=ポストヒューマンへの警鐘:物質性の軽視」

 本書は、「情報」というキーワードをもとに、K.ヘイルズが現代社会の人間像を考察した論考である。ヘイルズによると、現代社会においては、物質やエネルギーではなく情報こそが一義的な価値を帯びており、その情報の観点から人間像が記述されてきている。そして、その人間像は、人間と機械の同一視につながっている。ヘイルズは、このような情報学的人間像をポストヒューマン(posthuman)と呼んだ。

 ヘイルズのいう情報とは、少々乱暴にいってしまえばランダム性(randomness)と対比されるパターン(pattern)であって、物質性(materiality)との関連でいえば二つの特徴を有している。第一に、情報は、物質性とは別個にそれ自身として成立しており、全く物質性に依存していない点である。第二に、情報は、物質性よりも重きをなすものとして位置づけられており、情報こそが基幹であって、物質性は単に二次的なものにすぎない点である。

 このような見方に立てば、人間の身体=物質性は、さして重要ではなく取るに足りないものであり、いかにでも取替可能である。H.モラヴェックのように、現在の身体は、同じく物質としてのコンピュータと交換可能であり、人間の精神=情報をコンピュータ=物質性に移植してしまえば、人間は超生物に進化するという立論も出てくる。モラヴェックによれば、精神=情報をコンピュータに複製すれば、その人間は、不老不死に到達し、その気になればみずからの精神をビームで飛ばして惑星間の旅行ができるとした。人間の身体は、物質であるから取替可能であってそれがコンピュータに移行したとしても、人間の精神は崩壊したりしない。

 先のような情報の定式化やモラヴェックの発想は、1946年から同53年までのサイバネティックス(cybernetics)をめぐる会議に端を発している。この会議で議論された通信と制御の理論は、動物/人間/機械に等しく適用できるものであった。参加者の一人C.E.シャノンは、情報概念を計量的に定式化して情報理論(information theory)を確立した。その情報理論に、人間の神経を情報処理システムとして考える神経回路モデルが付け加えられた。W.マカロックとW.ピッツの仕事である。それに、J.v.ノイマンの二値コンピュータが続いた。この三つの概念枠組みが契機となって、人間は、情報処理する存在にすぎず本質的に知能機械と同一視されることになった。人間とコンピュータとの違いがなくなっていったのである。

 このサイバネティックスは変化しながらも現在まで続いており、その影響は広く行き渡っている。ヘイルズは、歴史を紐解き、サイバネティックスを第一世代(first wave)/第二世代(second wave)/第三世代(third wave)に区分した。第一世代サイバネティックスは、1940年代半ばからスタートしている。ホメオスタシス(homeostasis)が基礎概念であり、フィードバックループなどが議論された。主要な人物として、前述したシャノンやマカロック、ピッツがいる。続く第二世代は、1960年代半ばから始まった。再帰性(reflexivity)が基礎概念となり、オートポイエーシスが主なテーマとなった。H.マトゥラナやF.ヴァレラが中心的な役割を果たしている。第三世代は、1980年代から起こっている。バーチャル性(virtuality)をめぐって論議が交わされ、人工生命やセル・オートマトンなどが取り沙汰された。R.ブルックスやH.モラヴェックが活躍している。これらは、基礎概念の相違こそあれ、広い意味では同一線上の議論であり、いずれも人間の情報的側面にのみ着目し人間と機械を同一視している点で軌を一にしているといってよい。

 ヘイルズによれば、こうした人間観に相関するように、小説でも同じような考え方が見られるようになった。B.ウルフのLimboの小説は、第一世代のサイバネティックスとの関連が深い。P.K.ディックの小説は、第二世代と共鳴関係にある。N.スティーヴンスンの小説は、第三世代に呼応している。科学と文学は、共変する関係にあり、もはや分離したディスコースとしては進行しえていない。科学と文学は、連関しながらポストヒューマンを形づくってきた。

 繰り返しになるが、情報の観点からの人間観、すなわちポストヒューマンは、人間の物質性を軽視してその情報的側面のみを重視する考え方であり、人間と機械の同一視をもたらしている。この人間観は、学問や小説の領域で深く浸透し広く知れ渡るようになった。しかし、ヘイルズは、こうした人間観を肯定的に評価しているわけではなく、むしろ悪夢と評し憂慮している。ヘイルズは、まるでアクセサリーのように身体をみなす状況の行く末を危惧している。ヘイルズは次のように述べ警鐘を鳴らした。

ポストヒューマンに抵抗するなら、今である。その後で、ポストヒューマンをもたらす思考様式の破棄を目指し、それらを爆破して変えていこう。現行のポストヒューマンは、人間の破壊につながるものがある。しかし、私たちは、別のポストヒューマンを打ちたて、地球を共に生きている人間やほかの生命体、人工物が長らえるように行動することができる。(p291)

 ヘイルズは、ポストヒューマンに抗戦を促している。そのヘイルズの戦法は、情報と物質性との懸隔を埋めることである。そうすることで、人間は、みずからの身体性を見つめなおしその限界を認識して、コンピュータやロボットなどの情報技術に依る不朽幻想に惑わされなくて済む。人間の生命は、身体という歴史的に形作られた物理的構造に埋め込まれており、そこから離脱することなどできない。情報と物質性との関係は密接不可分である。ヘイルズは、本書を通じて情報と物質性との分離の過程を明らかにすることによりこの両者の分裂を食い止めようとした。

 ヘイルズは、科学や文学の潮流を丹念に分析して議論を重ね、その論議をもとに警鐘を鳴らしている。その警鐘には、十分耳を傾ける価値があると思われる。

 なお、情報学の内部からも、こうした情報学的人間像=ポストヒューマンを内破していく試みが始動している。その戦略は、情報の観点から人間を記述しつつも、情報概念を定義しなおすことで現行のポストヒューマンの趨勢に抵抗しようとするものである。たとえば、西垣通は、生命にとっての価値として情報を定義し、新たな情報学的人間像を作り出そうとしている。西垣は、「それによって生物がパターンを作りだすパターン」として情報を概念化し、情報産出の基体を生命体に限定した。この立場からは、物質性を軽視し人間とコンピュータを同質なものとして定位する発想は出てこない。西垣の研究営為は、あくまで情報の観点を取りつつも生命体が構成する情報を重視しており、ヘイルズの戦法とは異なるが、現行のポストヒューマンの動向に抵抗するものであるといえるだろう。現行のポストヒューマンへの対抗は、ヘイルズだけでなく、いくつかの地点で同時多発的に生まれている。

(河島茂生)


・関連文献

Heims,Steve J, 1993, Constructing a Social Science for Postwar America: the Cybernetics Group, 1946-1953, Cambridge: The MIT Press.(=2001,忠平美幸訳『サイバネティクス学者たち―アメリカ戦後科学の出発』朝日新聞社

Hofstadter, Douglas and Dennett, Daniel C eds., 1981, The Mind’s I: Fantasies and Reflections on Self and Soul, New York: Basic Books.(=1992,坂本百台監訳『マインズ・アイ―コンピュータ時代の「心」と「私」』TBSブリタニカ.

西垣通,1991,『デジタル・ナルシス―情報科学イオニアたち』岩波書店

・目次

Acknowledgments

Prologue

1. Toward Embodied Virtuality

2. Virtual Bodies and Flickering Signifiers

3. Contesting for the Body of Information: The Macy Conferences on Cybernetics

4. Liberal Subjectivity Imperiled: Norbert Wiener and Cybernetic Anxiety

5. From Hyphen to Splice: Cybernetics Syntax in Limbo

6. The Second Wave of Cybernetics: From Reflexivity to Self-Organization

7. Turning Reality Inside Out and Right Side Out: Boundary Work in the Mid-Sixties Novels of Philip K. Dick

8. The Materiality of Informatics

9. Narratives of Artificial Life

10. The Semiotics of Virtuality: Mapping the Posthuman

11. Conclusion: What Does It Mean to Be Posthuman?

Notes

Index

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