書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『森のうた』岩城宏之(講談社文庫)

森のうた

→紀伊國屋書店で購入

「忘れかけていた青春をイヤという程思い出させられた」

 岩城宏之山本直純という二人の指揮者が過ごしたハチャメチャで、だけどかけがえのない学生時代を岩城さん自身が回想して書いた本である。そこには、青春というひとことではかたづけられない程の情熱のもの凄さと小学生並みの欲望がある。


忘れかけていた青春をイヤという程思い出させられたし、また、音楽家がなぜ音楽をするのかも考えさせられた。

 二人が芸大に入学するところから始まって、指揮科でもない二人がまんまと学生オーケストラを組織し、その指揮者となってコンサートを成功させるまでの笑い転げる実話(?)の数々が綿々と綴ってある。この二人はなぜそこまで指揮をしたいのかわからないが、とにかく、どんな手を使ってでも指揮をしようとするのだ。ある時は人を騙し、ある時は人をおだてながらも、二人は指揮の仕方で大げんかをしたり、失恋を慰め合ったり。他に登場する若き音楽家のタマゴ達もそれぞれにキャラの立った存在で、なかなかおもしろい。

 外国にも簡単に行ける。どんなものでも簡単に手に入る。そんな時代になった今だからこそ失ってしまったのかもしれない人間の本能とも言える欲望をむき出しにして生きていた青年達。人に迷惑をかけて良いということは無いのだろうけど、この本の登場人物達は妙に魅力的だ。

 著者の岩城さんとドタバタを繰り広げるもう一人の主人公である山本直純は何をかくそう私の父である。だから、こんな本をココで紹介するのはちょっと恥ずかしいというか、アレなんだけれども、是非多くの人に読んでもらいたいと思う本なのである。2人ともあっちに逝ってしまった今、この本は2人からの遺言にすら思える。というと湿っぽすぎるのだけど、実際この本はまったく湿っぽくない。「俺たちの時代はこんなだったけど、こんな事をしたぞ。お前達は、今、何をするんだ?」と問いかけられている気がしてならない。音楽家である私にとって特にそう感じるのかも知れないが、いや、音楽家でなくとも時代による人々の雰囲気の違いには似たようなものがあるだろう。だがら、現代を生きるすべての人々に、本能的な情熱を喚起する貴重な本としておすすめしたい。

 と、ここまで書いて、この本が入手困難な状態にあることがわかった。でも折角書いた紹介文なのでアップさせて頂いた。この文を読んで本が欲しくなった方々、やり場のない気持ちにさせたことをお詫びします。いつか出版社が再版してくれることを祈りつつ・・・


→紀伊國屋書店で購入