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『表現したい人のためのマンガ入門』しりあがり寿(講談社)

表現したい人のためのマンガ入門

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「入門しないための入門書」

 簡単にやれそうで、意外と難しい。上手い下手が一目瞭然。ちょっとしたワザでそれっぽくなる・・・マンガは「入門」するのにぴったりの条件を備えている。日本では優に百冊を越えるマンガ技法入門の書がこれまで出版されてきたとも言われるが、たぶんどの本を読んでもそれなりに学び心は満たされるのだろう。


 実は筆者も最近、マンガ描きに凝ったことがある。ただし事情は逆で、故あってマンガ批評など読んでいたら自分で描きたくなってしまったのだ。主に四コマ漫画。布団に入ってからストーリーを思いつき、がばっと起きてメモする、などという場面さえあった。しかし、できたものを人に見せても誰も笑わないし、ほどなく「インスピレーションの季節」も去って、いつの間にやめてしまった。(読者の反応は大事ですよね、みたいな当たり前のことが本書にも書いてあるが、経験者としては妙に生々しく感じた)

 この本は、しかし、タイトルでちょっぴりウソをついていると思う。たしかに序章でも終章でも、「マンガを描こうじゃないか」、「売れることを考えよう」というメッセージは発せられるのだが、ほんとうにおもしろい部分や著者がほんとうに言いたいことは、そうした激励めいた箇所とは別のところにある。

 何よりはっとしたのは、「近代だかなんだかが始まって以来、小説とかはずーっと人間のこと書いてる」という一節だ。しりあがり寿は「ここらへんでいっぺん人間をほっといたほうがいいんじゃないか」と考えているらしい。「人間くささ」は漫画界でもひとつのルールになってきた。それに拘束されないような、もっとワケがわからないものを描きたい、というわけだ。

 どうやら著者は、いろいろと居心地が悪いのだ。そもそもマンガ業界に足を踏み入れるということは、1958年生まれの人にとってはそう簡単な選択ではなかっただろう。今とはちがって、マンガのジャンルとしての二流性がいちいち意識されてきた時代である。

 加えて著者は絵がうまくない(と自分では言っている)。絵を書くのが好きだったが、人に見せると「それじゃ、マンガだ」と言われた口。それに強烈に表現したいことがある、というわけでもない。「オリジナルであること」を強要されると、嫌な気分になる。要するに漫画界の中でも居心地が良かったわけではないのだ。

 それを救ってくれたのが、湯村輝彦糸井重里の『情熱のペンギンごはん』。いわゆる「ヘタウマ」の登場だった。ヘタウマには、設計図通りにできない魅力がある、と著者は言う。そういえばこの人、「アートの発するよくわからないニオイ」にひかれたりする。「うすぼんやりとした何か」が発想の元だと言ったりする。ヘタウマから、さらに「汚れたもののリアリティ」、「負の日本文化」という話になると、もう「入門」どころじゃないよな、とも思う。

 この本は自伝として読まれるべきものだ。世界は不完全でとらえどころがない。矛盾だらけ。そういう居心地の悪さをたっぷり味わいながら生き抜いてきた人としてのしりあがり寿の、自己語りが本書の芯なのだ。そこにはまた時代のニオイもある。『鉄腕アトム』や『ウルトラQ』で育ち、美大カルチャーに染まり、ビール会社の宣伝部に職を得るという人生は、四〇代後半の人なら「そうだよな」と思わずにはいない文化を感じさせるだろう。

 しりあがり寿のモットーは「敷居の低い人」だという。「ヘタウマ」ならでは、良い感じの人生とのつき合い方ではないか。デビュー後も会社勤めを続けたのは、著者にとっては当然のこと。ただ、このビール会社、「この注ぎ口はアポッアポッと音が出るから、『ジャイアント馬場樽』はどうだ?」というようなことを会議で話し合うところだったそうだから、まあ、それなりに楽しかったのでしょうね。


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