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『並盛サラリ-マン』木下晋也(竹書房)

並盛サラリ-マン

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 読むと全身の力が抜けて、ほどよく笑えて、すっと眠りに入れる。そんな本を私は「睡眠導入本」と名付けて密かにコレクションしています。前回「睡眠導入本」として紹介したのは、『生きていてもいいかしら日記』(北大路公子著)でした。今回はもっとゆるい、例え、会社の運命を決する重要な会議の直前だったとしても、数分で脱力してしまう、恐ろしい漫画をご紹介したいと思います。

 それが木下晋也の漫画です。私が『ポテン生活』に出会ったのは書店の店頭でした。寝っころがって描いたようなゆるいタッチの絵。帯には「何巻から読んでも大丈夫」というようなことが書いてありました。何巻から読んでも大丈夫って……。いくら8コマ漫画とはいえ、固定のキャラクターもいるようなのに、そんな適当でよいのでしょうか。木下さんの担当編集者さん、それでいいんですか?

 結論から言うと何巻から読んでもホントに大丈夫でした。というより、前の巻を読んでいたとしても、内容を覚えていられないのです。それくらいゆるいのです。数ページ読んだだけで、私は「失敗した」と思いました。ギャグ漫画なのに笑えない。どこで笑ったらいいのかわからない。すぐにベッドに放り出してしまいました。ふたたび拾いあげたのは寝る前です。神経が張りつめていた私は、「ウニが1匹、ウニが2匹…」と数える代わりにこの、気の抜けた漫画を手に取ったのでした。

 しかしどうしたことでしょう。読み進めるうちに面白さがわかってきたのです。それは、とってもミクロなおかしみ。「あはっ」にも「くすっ」にも「にやり」にも到達しない、息が鼻から漏れたか漏れないかというほどのかすかな笑い。その面白さがキャッチできるようになってきた頃、私はふやけていく意識の中でこう思ったのです。「面白い」ってこれくらいでいいんだよなと。日頃、「面白い」がてんこ盛りの漫画を読みすぎていた私は、「面白がる」ことに疲れていたんだなと。

 何を言っているのかわからないと思いますが、木下晋也の漫画を読んだ人は必ず上記の受容プロセスをたどるはずです。是非試してみてください。

 さて本題です。今回ご紹介するのは『並盛サラリーマン』。書影が2巻になっているのは、私が2巻から買ったからです。2巻からでも大丈夫。並盛商事に勤める社員たちの平穏で退屈な、ぬるま湯のような日常が4コマ漫画で描かれています。社員たちの個性は、一応描き分けられていますが、キャラ立ちしているというほどのものではありません。キャラありきの漫画を読み疲れた体に、優しい成分となっております。3ページくらい読むと、全身が弛緩して、物事を真剣に考えられなくなります。この感覚を味わってしまったら最後、この漫画を本棚からはずせなくなってしまいます。

 何より素晴らしいのは、この漫画のコストパフォーマンスです。さっきも言いましたが、読んだら、絶対に内容を忘れます。一度読んだ本は絶対忘れない、という自信を持つ方でも、この漫画にはかなわないでしょう。「どんなネタがありました?」と聞かれて、「スィーツ好きの課長がいて・・・」と言ったきり、絶句してしまうこと請け合いです。まさに私がそうでしたから。何度読んでも初めて読むときと同じ量の面白さが味わえます。こんな漫画が他にあるでしょうか。

 うまく褒められたかどうか自信がありませんが、絶賛したつもりですのでこの辺で終わりにしておきます。もう一度言いますが、何巻から買っても大丈夫ですよ!

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