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『エッフェル塔』 バルト (ちくま学芸文庫)

エッフェル塔

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 『エッフェル塔』はバルトが1964年に発表した本文100ページに満たないエッセイである。日本では1979年に審美文庫から本文より長い解説というかバルト論が付されて(それでも薄い本だった)宗左近・諸田和治訳で出た後、1991年にみすず書房から花輪光訳でアンドレマルタンの写真55点入りの豪華本で刊行された。本書は審美社文庫版の文庫化で、解説に後期バルトに関する長い「追補」が加筆されたほか、伊藤俊治氏が選んだエッフェル塔に関する図版と写真がくわわっている。

 まず確認しておきたいのは本書はバルトが記号学の夢に迷いこむ前に書かれた本だということだ。バルトは1963年にテーマ批評の掉尾を飾る『ラシーヌ論』を書いたが、本書はその翌年に刊行されており、ほぼ同じ時期に書かれたと思われる。

 意外に思うかもしれないが、本書にはシニフィエシニフィアン、ラング、パロールといったおなじみの記号論用語はまったく出てこない。「記号」signeという語(本書では宗氏独自の訳語として「表徴」になっている)は9ページに2箇所、88ページに1箇所出てくるが、「空虚な表徴と言ってよいほど純粋なこの表徴」とか「このような社会的表徴をこえて、エッフェル塔は、さらに一層普遍的な象徴を展開させる」という行文を見ると、記号論でいうsigneではなく「象徴」の言い換えとして使われており、「表徴」というバロック的な訳語が案外はまっている。

 「記号」と「象徴」はどう違うのだろうか?

 バルトは『サド、フーリエ、ロヨラ』でサディズムを切り捨てたサド、ユートピア思想を切り捨てたフーリエ、信仰を切り捨てたロヨラを中心のないシステムとして示したが、『エッフェル塔』におけるエッフェル塔はパリの唯一無二の中心なのである。エッフェル塔記号論的に考察するなら凱旋門や廃兵院、パンテオンのようなパリの他のランドマークとの対比で考えるか、東京タワーやスカイツリーとの対比で考えなければならない。ところが凱旋門や廃兵院、パンテオンエッフェル塔から眺めおろされる風景の一つにすぎないし、他の塔は言及すらされない。エッフェル塔記号論以前の「象徴」もしくは「隠喩」として分析されているのであって、記号論でいう「記号」としてはあつかわれていないのだ。

 「構造」、「構造主義」という言葉も出てくるが、レヴィ=ストロースにはじまる構造や構造主義とは異なる意味で使われている。

 パリとフランスは、ユゴーミシュレの筆の下で(そしてエッフェル塔の視線の下で)はじめて理解しうる事物となる。だが――それこそが新しいことなのだけれど――、だからといって、パリとフランスがその具体性を失うことは決してない。なぜなら、こうして一つの新しいカテゴリー、つまり具体抽象というカテゴリーが誕生したからである。そして今日、構造という言葉に与えられる意味は、まさにこの具体抽象であり、すなわち知覚形式の肉体化なのである。

 ここで「構造」と呼ばれているのは「知覚形式の肉体化」と言い換えることもできる「具体抽象」であって、レヴィ=ストロースが親族の呼称体系や神話のヴァリエーションからとりだした置換群とは何の関係もないし、『モードの体系』や「物語の構造分析序説」などバルト自身の構造主義時代の仕事とも関係がない。『エッフェル塔』のバルトは構造主義以前のバルトなのだ。

 バルトはエッフェル塔に同一化し、没入していく。バルトはミシュレユゴーが十九世紀的な想像力で描きだしたバロック的なパリを呼びさます。ミシュレエッフェル塔が完成する十年以上前に物故し、ユゴーは建設中に亡くなったが、彼らが幻視したパリの鳥瞰的なパノラマはエッフェル塔から眺めるパリを予告するものだった。バルトは『ノートルダム・ド・パリ』を思わせる筆致でエッフェル塔からの眺望を描きだす。

 塔の頂上から、ひとたびこれらの歴史と空間の地点をとらえるならば、その後は想像力がひとりでにパリのパノラマを満たし、それに構造を与えていく。だがそのとき、この想像力の働きを助けるのは、人間の機能にほかならない。というのも、パリの上空にあがったエッフェル塔の来訪者は、まるで悪魔アスモデのように、何百万という人間の私生活をおおっている巨大な蓋を持ち上げる幻覚をいだくからである。そのときこの都会は親しいものとなり、彼は、この都会の諸機能、この都会のさまざまなつながりを解読していく。セーヌ川の水平なカーブと垂直に交叉した巨大な磁性軸上には、ちょうど仰むけに寝た人間の体のような、階段状に重なった三つの地帯、すなわち人間生活の三つの機能がある。上の部分、つまりモンマルトルの丘のふもとには快楽があり、真中の部分、すなわちオペラ座のあたりには、物質、事業、商売があり、下の部分、パンテオン寺院の足下には、知識と学問がある。

 エッフェル塔自体もバルトは十九世紀の大作家の筆致で描きだす。こんな具合だ。

 鉄は、火の神話に参加している。そして鉄の(象徴的な)価値は、重さにあるのではなく、エネルギーにある。なぜなら、鉄は強くて軽い物質だから。鉄の神はヴァルカンであり、鉄の創造の場は作業場である。鉄はまさに作りだす材料なのである。そしてこの材料が、自然に対する人間の貪欲で、決定的な支配という観念と象徴的に結びつけられる理由も、そこから理解できる。じじつ、鉄の歴史ほど、進歩主義歴史観をささえているものはない。エッフェルは、塔の建設に鉄だけしか使わないことによって、さらには、この鉄のかたまり(エッフェル塔)を、パリの空に聳え立たせて、さながら鉄に献げる聖なる碑と化することによって、鉄の歴史を二重に飾ったのである。鉄の中にこめられているもの、それは十九世紀のすべての情熱、バルザック的でファウスト的な情熱なのである。

 バシュラールが大喜びしそうな物質的想像力全開の描写だ。全編こうなのだからうれしくなる。

 『エッフェル塔』はバルトのテーマ批評の最後の傑作である。みすず版の帯には「エッフェル塔記号学」とあったが、売らんがための宣伝文句にすぎない。本書は記号学とも構造主義とも関係がなく、記号の科学の夢に迷った中期を飛び越えて後期バルトの快楽の世界に直結しているのだ。ゆめゆめ誤解しないように。

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