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『陵墓と文化財の近代』高木博志(山川出版社)

陵墓と文化財の近代

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 2008年、歴代の皇室関係の墓所である陵墓への立ち入り調査がおこなわれた。明治維新以来の画期であった。いっぽう、陵墓指定がされていないが、継体天皇陵であることが確実視されている今城塚古墳の調査が、1997年以降おこなわれている。幕末から明治期にかけて近代の祖先観から「捏造」された「万世一系(ばんせいいつけい)の陵墓体系」は、世界遺産への登録というグローバル化もあって見直しを迫られている。


 すでに「歴史化」し治定(ちてい)(陵墓決定)困難な巨大古墳群を陵墓として、文化財として扱わない方針に疑問を感じてきた著者、高木博志は、本書で「近代の天皇制形成とともに、皇室財産に乏しかった皇室への宝物や文化財や陵墓などの「秘匿された財」の集積過程、来世(らいせ)観の希薄な非宗教の国家神道の問題から説き起こして、近代日本の陵墓と文化財の特質を広い視野から考えてゆきたい」という。


 「万世一系」の考えは、「十七世紀の儒学(じゆがく)において、一〇〇代を超える天皇が一筋につながるイメージができて、それが十八世紀の本居宣長(もとおりのりなが)の「古代」の発見につながって」いった。それが、「一八六七(慶応三)年十二月の王政復古(おうせいふつこ)の大号令以降、「神武創業」が公論となり、奈良や大阪そして鹿児島などの古代の陵墓群が公に天皇家の「祖先」となる、あらたな近代天皇制の系譜論が生じ」、「公論においても宮中の祖先祭祀において、神代(じんだい)の祖先に続いて神武天皇以来の天皇が「皇祖皇宗」になった。そして立憲制(りつけんせい)の形成過程において、天皇の人格をも含み込んだ「万世一系天皇」という大日本帝国憲法(だいにつぽんていこくけんぽう)の規定につながる用例があらわれる」ことになった。


 「万世一系」に基づく古代史観について、専門家は早くからその矛盾を指摘してきた。たとえば直木孝次郎は、「実際は四~六世紀のあいだ、王朝(おうちよう)交代というか、政権交代というか、権力の中心が何度か移っているので、前政権の王の墓をつぎの政権が大切に保存・維持したとは思われない」と述べている。古代律令制形成期に記紀神話を具現化するためにつくられた古代の陵墓が、近代天皇制で復活し、いままで「凍結」されてきたことに疑問をもたないほうがどうかしている。本書では、さらに陵墓の問題を、「広く文化財をめぐる歴史認識」の問題としてとらえる。


 中世・近世から明治維新第一次世界大戦への歴史認識の変遷は、つぎのように説明されている。祖先祭祀においては、平安京の仏教的な世界観が江戸後期まで引き継がれ、仏式でおこなわれ、「在位の天皇とその父や祖父の法要といった、一対一の関係であったのが、近代では「皇祖皇宗(こうそこうそう)」というマス(集団)としての天皇たちを、在位の天皇一人が神式で引き受けることになった」。陵墓の景観も変わった。「近世の仁徳天皇陵崇神(すじん)天皇陵のような桜の名所ではなく荘厳常緑の憤丘が近代の陵墓景観としてふさわしいとされ」、「鳥居と灯籠、参道、前方後円墳、二重濠、といった景観が近代のあらまほしき姿」となった。そして、「一九二〇年代以降になると、公園とは峻別された内苑を有する神社が荘厳な常緑の植生のもと、国民道徳の対象でありながら、宗教性をおびつつ国民崇敬の対象となって」、「全国の村々の神社の景観も画一的なものに」なった。「荘厳な国家神道の神社景観の成立である」。また、「陵墓の「万世一系」を支えるものとして、記紀の無批判な考証、「口碑流伝」の採集といった十九世紀以来の学知が一九四五(昭和二十)年まで社会に通底していた」。


 著者は、最後に「二十一世紀の陵墓問題」という見出しを掲げ、つぎのように問題の本質をとらえ、見直しを主張している。「陵墓は、近代天皇制によりつくりだされる。さまざまな物語や信仰のもとにあった近世までの王墓群は、明治維新(めいじいしん)をへて選択され、「万世一系(ばんせいいつけい)」の系譜神話のなかの画一化した語りと価値のもとに「陵墓」として囲い込まれてゆく。しかし文献と「口碑流伝(こうひるでん)」をもって考証する方法論で治定(ちてい)された「十九世紀の陵墓体系」は、当時の学知の水準で決められた。しかも陵墓のみならず、古墳をはじめとする史跡などの文化財をめぐる国民の学知においても、その方法論は広く社会に通底した。その後、大正期以降に登場した考古学・津田(つだ)史学などの近代学知が示す古代像との乖離(かいり)が生じるが、「十九世紀の陵墓体系」は「凍結」されたまま記紀(きき)批判を棚上げし今日にいたったというのが、現代の陵墓問題の本質と考えられる」。「少なくとも六世紀初めの継体(けいたい)朝以前の「陵墓」となった巨大古墳群については、本来、歴史化した文化遺産であることを確認して、宮内庁天皇家の祖先の墓としてのみ管理することなく、「万世一系」のイデオロギーから自由になり、文化財保護法のなかで「保存」「公開」「文化的活用」のありようを考えてはどうだろうか。「十九世紀の陵墓体系」は「二十一世紀の学知」のなかでみなおすべきであろう」。


 古代史にロマンを求め、関心をもつことは悪いことではない。しかし、本書から明らかなように、断片的にしか事実がわからない古代史は、政治的に悪用される危険性がある。あるいは、観光資源として史実とは無縁に利用されることがある。根拠がなくても一度「治定」されると、100%それを覆す資料などの証拠が出てくることはまずないので、やっかいである。著者が、「広く文化財をめぐる歴史認識」の問題として議論したいというのも、もっともなことだ。

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