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『「国民国家」日本と移民の軌跡-沖縄・フィリピン移民教育史』小林茂子(学文社)

「国民国家」日本と移民の軌跡-沖縄・フィリピン移民教育史

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 昨今の博士論文のなかには、とても出版にたえないものがある。脈略のない論文が数本並んでいるだけで、全体を通してなにが言いたいのか、とくに専門外の者にはさっぱりわからないものがある。その点、本書は安心して読むことができた。序章、2部8章、終章からなり、序章と終章で全体像がはっきり示されている。各章にも「はじめに」と「おわりに」があり、わかりやすい。


 本書の特徴は、つぎの3つの研究領域を交錯させて論じていることである。すなわち、「近代沖縄教育史研究、植民地教育史研究、そして沖縄移民(史)研究である」。著者、小林茂子にとって幸いだったのは、それぞれの領域には膨大な研究蓄積があったことである。それを素直に学びとり、つぎの2つの課題を設定した。「第1は、戦前期沖縄において展開された移民教育を、国・県の移民政策との関連性をふまえつつ学校教育、社会教育双方から把握し、その実践を歴史的総体的にとらえるということである。そのために後節で詳述するごとく、戦前期沖縄の移民教育に関する時期区分を試み、それぞれの時期の特質を明らかにしていく。これが第1の課題である」。


 「第2は、フィリピン・ダバオの沖縄移民の意識構造を、移民個人の生活世界から描き出すとともに、フィリピン・ダバオがおかれた政治的経済的な外部状況とを関連させて明らかにするということである。とくに、移民二世の意識形成を考える場合、日本人学校での「臣民教育」の影響は大きいといえるが、同時に家庭における沖縄文化の伝承という側面にも着目しつつ、それと外部世界との関係を考えたい。これが第2の課題である」。


 「つまり、沖縄における移民教育の実践の歴史的事実の把握(第1の課題)という作業から、移民に対し沖縄での教育がいかなる役割を担ったのかを問い、また、渡航地フィリピン・ダバオでの移民の自己意識の形成(第2の課題)という内面の問題について、それが移民にとってどのような意味があったのか、これらの諸点を移民送出地域と渡航先双方を視野にいれて、沖縄の移民教育を総体的に解明することにある」。


 本書の目的は、「終章」の冒頭で、つぎのようにまとめられている。「本研究の目的は、「風俗改良」の取り組みから「国策」移民のための教育へと変わっていく、沖縄における移民教育の実践状況と、フィリピン・ダバオにおける沖縄移民の自己意識の形成という2つの局面から、差別に対する沖縄移民の、生き抜くための適応と内面変化の過程を解明することにあった」。


 そして、「この2つの局面をとらえる視点として、次のような分析枠組みを設定した。すなわち、1つは戦前期沖縄における移民教育の特質を時期区分にそって明らかにしつつ、そこから「必要的同化」と「文化的異化」の側面を析出した。また、もう1つはフィリピン・ダバオにおける沖縄移民の自己意識を「日本人意識」と「沖縄人としてのアイデンティティ」という二層の意識構造としてとらえ、その関係性を追求した」。


 続けて各章ごとに論点を整理し、最後に「移民研究の教育学における意義と今後の課題」を探り、つぎの4点にまとめている。「第1は、戦前と戦後における沖縄県の移民教育についての連続面、断続面を明らかにする必要がある。戦後も沖縄からは多数の移民が送出されており、そうした状況のなかで移民教育はどのように実施されたのか、それは移民自身の自己意識にどのような影響を与えたのか。アメリカ占領期の教育改革とのかかわりから本土復帰後の学校教育、社会教育両面において、解明する必要があるだろう」。


 「第2は、沖縄県のほかにも「移民県」と称されていた広島県、長野県、和歌山県など、移民を多く送出した地域で実践された移民教育史を掘り下げ、それらと沖縄県との比較・検討が重要な課題となる。とくに移民の送り出しには地域史とのかかわりが大きいが、移民=棄民の考えがあり、これまで地域史あるいは地域の教育史のなかに移民はほとんど登場しなかった」。


 「第3に、フィリピンへの沖縄移民をさらに太平洋諸島に渡った移民と比較検討する視点も重要であると考える。太平洋諸島への移民は、日本やアメリカ、イギリス、フランスなど欧米諸国とのかかわりが大きい。フィリピンも含めこれらの地域への移民の実態を広く世界史的視野からとらえる必要がある。それは移民に関する教育についても同様であり、フィリピンや太平洋諸島の移民教育史を植民地教育史との連関も視野にいれて、よりグローバルな視点から把握する取り組みが重要になってくると考える」。


 「最後に、フィリピンへの沖縄移民も含めたアジア諸国への日本人移民についての教材化を進めることも、必要な課題となろう。それは上述のごとく移民研究と移民を取り上げた教育実践との連携をより進めるという点でも重要であるが、今後経済協力協定(EPA)に基づいて、日本へインドネシアやフィリピンなどアジアの労働者が増加する可能性があるという、国際的な状況もある。そうした人たちをどう受け入れ、相互理解を図り共生していくのかという、現実的な教育実践課題としても深めるべき必要性があると考えている」。


 長年、教育の現場にいただけに、著者は研究をどう実践にいかすのかを問うている。本文のなかでも、生徒、教師、保護者の顔がちらついてきそうな場面がいく度かあった。研究面だけでなく、研究対象とどう向き合うべきか、学ぶことが多々あった。


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