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『阿姑とからゆきさん:シンガポールの買売春社会 1870-1940年』ジェームズ・フランシス・ワレン著、蔡史君・早瀬晋三監訳、藤沢邦子訳(法政大学出版局)

阿姑とからゆきさん:シンガポールの買売春社会 1870-1940年

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 「娼婦の生活史から日本とアジアの近代を問いなおす」「イギリス植民都市シンガポールの形成過程のなかで、性を生業にする日本と中国の女性たちはいかに生き、死んでいったか。近代という時代に翻弄されながらも懸命に生きた人びとのすがたを多角的な視野のもとに浮かび上がらせる」と、帯にある。


 日本人売春婦を指す「からゆきさん」ということばは、1974年公開の映画『サンダカン八番娼館 望郷』(栗原小巻高橋洋子田中絹代ら出演)や1987年公開の映画『女衒ZEGEN』(緒形拳倍賞美津子ら出演)で有名になり、その時代を知る者にとっては、なじみのないものではない。だが、本書の裏表紙の写真に写っているシンガポールのマライ街は、SEIYU(西友が2008年に撤退し、地元資本になっても、この名が残っている)が入っているショッピング・モールになり、もはやここで暮らした「からゆきさん」のことを想像することはできない。わずかに、よく見ると「MALAY STREET」の標識がかかっていることに気づいた老人が、開発前のことを思い出すだけだろう。


 本書には、4つの「まえがき」計15頁があり、なかなか本文に入っていけない。その理由は、2つある。ひとつは、著者のこだわりである。この社会史を執筆する機会となった資料を発見したことを、40年近くたっても、まだ興奮しているのである。当事者である「からゆきさん」自身が、「こういう人たちのことはけっして歴史には書かれません」と言った歴史を書いたことに、著者はまだ酔っている。もうひとつは、初版が出たのが1993年、出版社を変えて再版されたのが2003年、そして日本語訳が出たのが2015年、本訳書は20年近く出版の機会を待ち続けていたためである。


 この20年近くのあいだに、一時は東南アジア諸語を学ぶ女子学生の卒業論文の人気テーマだった「からゆきさん」は、もはやそのことばさえ知らない学生がほとんどになった。1970年代後半から急激に増えた東南アジアから日本に出稼ぎに来た女性を、「からゆきさん」との対比から「ジャパゆきさん」とよび、1983年には流行語になったことももう30年以上前の話である。「からゆきさん」は売春に従事していたが、「ジャパゆきさん」はエンターテイナーなど、売春とかかわりのない者も多かった。「ジャパゆきさん」はまだ日本各地にいるが、あまり目立たなくなった。ならば、いまなぜ「からゆきさん」なのかを考えなければならない。


 もはや自分が「からゆきさん」になるかもしれないと思う日本人はいないだろうし、日本にやってくる外国人を「からゆきさん」と対比してみる日本人もいないだろう。だが、「からゆきさん」を時代の転換期に現れた移住者の一団と考えれば、今日の移住者と対比して考えることができる。ヨーロッパには、アフリカから地中海を渡って人びとが押しかけている。東南アジアでは、ロヒンギャとよばれる人びとが、すし詰めの船に乗せられてアンダマン海をさまよっている。かつて「からゆきさん」も船倉に隠れて密航した。


 東アジアでも政変や自然災害が起こり、日本海などを渡って日本に来る人びとが大量に発生するかもしれない。自分自身が「難民」になることも、福島原発事故で避難を余儀なくさせられた人びとのことを考えると他人事ではない。そのような苦難に陥ったとき、人びとは自分自身の境遇を受け入れて、前向きに生きていくことができる力強さをもっているだろうか。また、そういった人びとを支え、支援することができるだろうか。本書に登場した「からゆきさん」や中国人売春婦を指す「阿姑」は、人びとが困難に出会ったとき、どのように生きていくか、なかには現実に押しつぶされて死を選んだ者もいるが、を考えるヒントを与えてくれる。この事実を知っただけで、あきらめないで生きる勇気を自然と身につけるかもしれない。


 森崎和江は、「からゆきさん」を特別な人びとではなく、身近な自分の友人として受け入れ、『からゆきさん』(朝日新聞社、1976年)を書いた。本書の著者、ワレンもこれらの女性を「屋根裏部屋の友だち」であるかのように「できるだけ自然にまた愛情をもって語った」。表紙の4人の女性のまなざしから、いまの日本人はなにを読みとることができるだろうか。日本人の知性が問われているのかもしれない。それは、今日の従軍慰安婦の問題にも通じるのかもしれない。

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