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『「からゆきさん」-海外<出稼ぎ>女性の近代』嶽本新奈(共栄書房)

「からゆきさん」-海外<出稼ぎ>女性の近代

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 「本書の大きな目的のひとつは、この「からゆきさん」と呼ばれる、しかし生き様は様々であった女性たちを取り巻く言説とまなざしの変容を、時代を追って検討していくことにある」。


 さらに詳しく、同じく「序章」で、著者嶽本新奈は、つぎのように説明している。「本書で試みるものは、からゆきさんをめぐる言説がどのような社会的状況の中で発せられ、どのように受容、あるいは排除され、いかにそれが社会や彼女たちに作用したのかを検証することである。これまでの研究において、日本が近代化を成し遂げていく過程で、「遊女」あるいは「芸娼妓」とも呼称された女性たちへの差別意識は廃娼運動家たちを筆頭に内面化されていたことが明らかにされているが、それは主に「公娼」、あるいは娼婦全般に対する見方として共有されており、からゆきさんという個別カテゴリーに特化した言説の流れを追ったものは、ほとんどなかったといってよい」。


 本書は、序章、6章、終章からなる。終章には、「各章のまとめ」がある。第1章「身売りの歴史とその思想-近世から近代に連続するもの」では、「近世までの人身売買の歴史とその意識の変化を検討した」結果、「年季を務め上げれば「通常社会」に戻る道があった当時の売春への意識と、そうした社会経済構造のなかに女性がしっかりと組み込まれていたことが浮かび上がった」。


 第2章「海を渡った女性たち-江戸から明治期」では、「まずいち早く海外に<出稼ぎ>へ出た女性たちが多く出現した長崎の歴史と地域的特殊性を描き、開国後の横浜の事例も確認した」。つぎに「女性たちが具体的にどのような状況と手段で海外渡航をしていたのかを検討し」た。その結果、「近世から連続する根強い娼妓渡世の観念を女性を取り巻く社会が内面化していたがゆえであり、同時に公権力がそうした通念を利用した」こと、「人身売買のネットワークが本来的には男性主導であった」ことがわかった。


 第3章「海外日本人娼婦と明治政府の対応」では、「開国以降の明治政府の公娼制度と、海外で問題化した日本人娼婦の対応を概観した」結果、「植民地や占領地へ次々と国内の公娼制度に準じた法令を整備していった背景には、日本人男性の移動と定住を促すためには女性の性的慰安が必要だとの認識があった」ことがわかった。


 第4章「「芸娼妓」をめぐる言説と、海外膨張政策への呼応」では、「存娼派と廃娼派の芸娼妓をめぐる言説と対外膨張政策における反応を検討し、開国以降の公娼制度をめぐって議論された存娼派と廃娼派の主張とその主張的背景を考察したが、両者が「婦人」あるいは「妻」の立場を向上させるために、芸娼妓蔑視観ともいえるイメージを共有し、本来は存娼派と廃娼派として反発しあうはずの両者の主張に親和性があったことを確認した」。


 第5章「分断される女/性-愛国婦人会芸娼妓入会をめぐって」では、「芸娼妓入会をめぐって誌面論争へと発展した愛国婦人会と「婦女新聞」の議論を取り上げ」、「「近代家族」の一員である「婦人」と娼婦に序列がつけられ、娼婦が周縁化されていく様相を呈していたことを示した。また同時に、ゆるやかに連続していたそれまでの芸娼妓と妻との境界が、入会拒絶という現実によって断絶されるという、<旧来の性意識>と近代的な性規範の相克をも露にしていたことも明らかにした」。


 最後の第6章「優生思想と海外日本人娼婦批判」では、「優生思想の流入が廃娼派たちの言説とどのように結びつき、いかなる帰結をもたらしたかを検討した。日清・日露戦争を経て膨張主義に邁進する日本で、より「科学的」に廃娼運動を支える思想として優生思想が用いられたとき、海外にいる日本人娼婦の売春相手が外国人であることがはじめて焦点化されたことを指摘した」。また、「はじめて島原、天草への調査が行われた」結果、「「低俗な」風習として取り沙汰され、こうした調査報告によって海外の日本人娼婦のイメージは一地方の習俗の問題として固定化されるに至る要因ともなった」とした。


 そして、「歴史的な経緯のなかで、国家、一夫一婦制、性規範、処女性、エスニシティ、優生思想といった概念が複雑に絡み合いながら徐々に日本人<出稼ぎ>娼婦に対するまなざしを変化させ」、「からゆきさんが徐々に周縁化されていく存在となった」と結論した。


 また、帯にある「「慰安婦」との断絶と連続」について、つぎのように説明している。「管理された女性の「身体」と「性」を日本人男性のために利用するという暴力的な思考は当時の膨張主義と相まって、後の「慰安婦」制度へと先鋭化されていった。言うまでもなく、「慰安婦」制度は何もないところから日本軍が突如出現させた制度ではない。その下地となったのは、本書で追ってきた、開国以前からの日本の伝統的な遊郭制度と、その制度を是として売春する女性の「身体」と「性」を経済の一貫として組み込んできた日本社会に加え、開国以降に醸成された、男性の慰安のために「消費」される女性を「供給」することを優先させるといった意識であった。しかも、その過程では常に人身売買的な要素は隠蔽され、女性の意志による行為とされてきた。複雑なのは、そうした意識を女性を取り囲む人々のみならず女性自身も少なからず共有していたという点だろう。植民地化の過程で、そうした意識が日本人以外の女性たちにも投影され、より構造的な暴力で巻き込むシステムとして出現したのが、「慰安婦」制度だった」。


 帯には、「「からゆきさん」研究に新たな地平を切り拓く緻密な表象史」とある。終章註(21)で、著者はつぎのように述べている。「むしろ私たちが考えるべきは、なぜ森崎[和江]の意図が看過され、山崎[朋子]の『サンダカン[八番娼館]』は社会に広く受容されたのか、だろう。また、森崎のからゆきさんの描き方に問題がないわけではない。その点については、森崎のジェンダー観もふくめて稿を改めて検討したいと考えている」。著者は、終章で「森崎と山崎の比較を通じて」、森崎が「からゆきさんに植民地主義輻輳性を見出し、彼女たちが膨張主義の体現者となってしまったことを描いた」のにたいして、「「底辺女性史」を執筆したいと願う山崎は、からゆきさんが持つこの輻輳性と軋轢には目をむけなかった」ので、「「慰安婦」をからゆきさんと安易に重ね合わせてしまう」と指摘している。


 著者が「改めて検討したい」という稿をみないかぎり、日本の「からゆきさん」研究は、1970年代からあまり進歩していないといわざるをえない。稿を改めるに際して、世界史のなかで考えることはもちろんだが、「からゆきさん」の多くが東アジアにいたことを考えると、東アジア史のなかで考えることも必要だろう。もはや日本史やジェンダー史のなかだけで考える時代ではない。1970年代とは違った「からゆきさん」研究の今日的意味を明示しなければ、過去の研究を批判するだけで、建設的な議論に結びつかず、「からゆきさん」研究をする者もいなくなるだろう。


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