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『近代日本社会と公娼制度-民衆史と国際関係史の視点から-』小野沢あかね(吉川弘文館)

近代日本社会と公娼制度-民衆史と国際関係史の視点から-

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 「男たちの放蕩や「家」の没落を招いた遊郭。女たちの勤倹貯蓄精神や修養意欲は、どう公娼制度批判へ発展したのか。また、東アジアに拡大した日本の公娼制度政策の特徴を国際関係史的視点から解明。慰安婦問題の歴史的前提にも言及」と裏表紙にある。


 著者、小野沢あかねは「序章 本書の課題と方法」の冒頭で、本書の課題をつぎの2点としている。「①近代日本社会における公娼制度批判の特徴を民衆史的側面から明らかにするとともに、②近代日本の公娼制度政策の特徴を国際関係史的手法で明らかにする」。


 「日本の遊郭と身売り奉公は、近世以来の長い伝統をもっていた。そして、近代日本社会においては、法的には人身売買が禁止されていたにもかかわらず、事実上は、芸娼妓などの人身売買が行われ続けた。主として芸娼妓の親権者が貸座敷などから受け取る前借金を、芸娼妓稼業を通じて返済するまで彼女たちの人身の自由は事実上奪われており、しかも前借金の返済自体が困難をきわめた」。


 こうした事実上の人身売買を、日本政府は一貫して認めようとしなかった。その理由を著者はつぎのように述べている。「この種の稼業が国家公認されていたという事実があるのであり、つまりは国家公認され、保護されていたのは、芸娼妓の人権や待遇ではなく、抱え主が芸娼妓の女性たちを人身売買する権利だったということを忘れてはならない」。


 このことを踏まえ、著者は本書の目的、第一の課題をつぎのように述べている。「本書は公娼制度批判が近代日本社会においてどのように形成されたのかを分析することを目的としている。ただしその際、本書では、通例よく対象とされる前述の日本キリスト教婦人矯風会や廓清会などの活動や思想の分析というよりはむしろ下記の点を重視する。①各時代ごとの地域社会における遊興の実態とそれが民衆生活にもたらした問題、②①に対して地域社会の諸団体(各地の教会、矯風会地方支部、禁酒会・青年団・婦人会・処女会など)がどのような公娼制度批判を展開したか、を考察することを第一の課題とする」。


 本書は、序章、3部全9章、終章からなる。3章からなる「第一部 公娼制度批判の展開」では、「第一次世界大戦後の公娼制度批判の広がりについて、日本キリスト教婦人矯風会の地方支部の担い手の特徴や地方教会の動向、禁酒会・青年会・婦人会・処女会史料などからその歴史的特徴を明らかに」する。4章からなる「第二部 公娼制度をめぐる国際関係」では、「国際的婦女売買禁止の国際的潮流と日本および日本の植民地・勢力圏とにおける公娼制度との関係を国際関係史的に分析する」。2章からなる「第三部 戦時体制下の「花柳界」と純潔運動」では、まず「日中戦争以降、公娼制度下の遊郭をはじめ、「花柳界」が企業整備のどのような影響を受けたかをふまえたうえで、最後まで公娼制度は廃止されず、軍需関連成金が独占することとなった「慰安所」が残ったことを指摘する」。ついで、「企業整備にもかかわらず残存したこの種の営業に関して、純潔運動がどのような批判を展開したかを、人口政策等への言及も含めて考察し、国策と純潔運動との接点とズレに着目する」。


 「終章 近代日本社会と公娼制度」では、各部ごとにまとめ、最後に「戦後への展望」を述べている。第一部では、「本書で明らかにした、公娼制度批判の底流、つまり「家」維持のための勤倹貯蓄的実践に基づく自負心を底流として芽生えた身分的秩序への批判意識」から、「近代日本において繰り返し展開された、民力涵養運動・公私経済緊縮運動・農村経済更生運動などの官製運動と常に密接な関係をもって展開されながらも、異なっていたことにあらためて注意を喚起したい」とまとめている。


 第二部では、「戦間期日本の公娼制度政策を国際関係史的方法で考察した結果、得られた知見は、まず第一に、この時期の婦女売買禁止の国際的潮流が、日本の公娼制度廃止問題に大きな影響をもたらし、日本の内務省が公娼廃止方針を確立する決定打となったということ」、第二に「東アジアにおける日本の勢力圏都市での国際的婦女売買問題の特異性が、日本の内務省公娼制度廃止方針をいったん樹立することになる決定打になったということである」。これらの考察を通して、戦場での慰安婦の問題も考察できることを、つぎのように説明している。「近代日本の公娼制度政策は、家族的関係に基づく人身売買という点、性病予防という点においても必ずしも欧米のそれと同一視できないのであり、そのことは、なぜほかならぬ日本軍が日中戦争以降、その占領地一帯に、稀にみる大きな規模で「慰安所」を設置することになるのか、その歴史的前提とは何か、という問いへも回答の一端を示唆するものではないかと思われる。この問題についてはもちろん、戦場における日本軍のあり方に着目することが重要だが、それだけでなく、日中戦争以前にまで遡って、近代日本社会のあり方そのもの、なかでも公娼制度との関係を考えることが重要との指摘が近年相次いでいる。ヨーロッパ廃娼国とは異なって、芸娼妓酌婦周旋業と前借金の合法性が保たれたことが、日本内地と植民地・勢力圏で婦女売買や女性の徴集を公然と行うことのできた背景としてあったこと、かつまた、娼婦の排除ではなく、娼婦の強制的性病検査への強い固執が存在したことなどについて、今後検討してみる必要があると考える」。


 第三部では、「戦時体制下の日本社会においても、公娼制度、そしていわゆる「性的慰安」は、なくしてしまうわけにはいかない存在として内務省からみなされており、存続し続けた」ことから、「戦時体制を現代化の基点として、平準化・国民化の過程としてとらえ、そういった点における戦時・戦後の連続を主張する総動員体制論は」、「一面的といわざるをえない」と結論した。「一方で、公娼制度批判のかたちも、戦前・戦時の連続性」があったと指摘している。


 本書を読むと、「従軍慰安婦」の存在と政府・軍の関与を否定することができないことがわかる。いっぽうで、それを否定し続ける政府の戦前からの連続性をみることもできる。そして、国際関係史的方法で考察をおこなった結果、政府の見解は国際的に理解されないことがわかった。現代の「従軍慰安婦」問題も、歴史的、国際的にみると、それを否定する政府や政治家がなんとも恥ずかしいことがわかってくる。

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