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『抵抗の場へ―あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る』マサオ・ミヨシ×吉本光宏(洛北出版)

抵抗の場へ―あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る

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「天邪鬼」になること

マサオ・ミヨシ」というカタカナ名は、初めて見た時からなんだか怪しく感じていた。1991年に創刊された『批評空間』誌だったと思う。そのアドヴァイザリー・ボード(編集顧問)の1人として、エドワード・サイードフレドリック・ジェイムソンと並んだ名前を本屋の店頭で見て、思わず心の中で呟いた。「日系2世? 3世? ナオミなんていう、ユダヤ系の人もいるからなー」。カズオ・イシグロ『日の名残り』がもう訳されていたかどうか全然憶えていない。イサム・ノグチは少し前に亡くなっていたはずだが、これは「現代思想業界」である。トニー・谷やハナ・肇、米軍キャンプのジャズマンたちじゃあるまいしー。

夕陽が差す高田馬場駅前の古い本屋さん、その人文系棚の前でクラッと眩暈がした。80年代には、比較文学者としての仕事が紹介され始めていたらしいが、印刷工場の奥の窓もない大部屋で一日中働いていた私は何も知らなかった。そのうちにサイード『知識人とは何か』が95年に訳されると、その中で彼の名が親しさを込めて語られている。翌年の96年になると『オフ・センター 日米摩擦の権力・文化構造』が訳された。それを読んで少しだけ分かったのは、こういうことだ。

明治以来、「日本社会」というこの訳の分からない支配の生態系をぶち破ろうとした人々を励ましてきたのは、大体のところ欧米からやってきた思想だった。中江兆民幸徳秋水に始まり、福本和夫や三木清たちを通って、戦後から現在に至るまで、たくさんの人々があのヨーロッパという小さな半島に渡り、熱心に学んで吸収し、さらに自分自身の力としてこの地面を揺り動かそうとしてきた。その果てに、やはり外のもの、異質なものでしかなかったとして曖昧に「日本化」していく。まあ、陳腐といえば陳腐、貧相といえばあまりに貧相なこの営みは今も続いている。今こそ大盛況もいいところである。

キリスト教徒や、さらには仏教徒にまで見られるこういう雪崩現象に対して、「でも、外だから、異質だからこそ面白かったんじゃないの」とはとりあえず言える。ところがマサオ・ミヨシは、「日本」にも「ヨーロッパ」にも「アメリカ」にさえ同一化しない。戦後すぐにアメリカの市民権を取って永住しているのにアメリカを批判し、生まれ育った日本に来ても日本を批判する。当然といえば全く当然だろう。だが、例えば森有正のような人、パリに暮らしているのに「国内亡命者」のようだったフランス哲学の徒と比べてみれば、その埒外の自由さがくっきりと浮かび上がってくる。

あの半島とは違う「アメリカ」、半ばヨーロッパで半ばアフリカ、その上、半ばラテン・アメリカ、半ばアジアというこの大陸が、こういう彼の姿勢を培養したのは確かだろう。しかし、この生き方を選び取ったのは「マサオ・ミヨシ」自身である。つまり、このカタカナ表記が醸し出す「怪しさ」は、「日本人」でも「アメリカ人」でもない場所へ向かった彼の思想と行動の魅力に直結していたのである。そして今度の本は、その力の源泉が彼のperversity「天邪鬼ぶり」にあったことを、爽快かつ誠実な言葉で明らかにしている。

トニー・谷やハナ・肇を思い浮かべたのは、今思い返せば最上級のオマージュだったのである。敗戦直後、突然変異的に爆発した彼らの笑いは「日本人」の境界を溶かす。憲法9条に劣らず「敗北を抱きしめ」た、その精華だったのである。マサオ・ミヨシの「天邪鬼」はそこに通じている。後は読んでのお楽しみ。ともかく、力ある者に逆らう「天邪鬼」万歳! と言っておこう。

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