『モナリザの秘密-絵画をめぐる25章』ダニエル・アラス[著]吉田典子[訳](白水社)
21世紀という16世紀をこそ
イタリア美術史の世界がアダルジーザ・ルーリ(1946-95)に次いで、その最良の部分をダニエル・アラスの死によって失ってしまったということだろう(1944-2003)。というか、20世紀後半のフランス美術史界がその最良の部分を、というべきかもしれない。その年代の秀才にはありうることとはいえ、アンドレ・シャステルからルイ・マランへ論文指導教官を替え、ピエール・フランカステルの『絵画と社会』(1965)とフランセス・イエイツ『記憶術』(1966)に決定的刻印を受け、ユベール・ダミッシュを友とし、マイケル・フリードを耽読するという履歴からして、人文科学の中心に美術史がなり、諸批評百家争鳴の成果を美術史そのものが吸収して実に豊かなものになっていったプロセスを、ほぼ一身に体現している。
この半世紀に特異な16世紀美術史最大のテーマ――マニエリスム――の復権ということでも、パトリック・モリエスと並ぶ大きな存在だったし、これだけ面白くわからせながら背後に想像を絶する教養を感じさせる点では、シャステルの『ルネサンスの危機』(邦訳:平凡社)、ジャン・クレイの『ロマン派』(邦訳:中央公論新社) 『印象派』(邦訳:中央公論新社)以来の超の付く名作が、このアラスの『細部-近接美学史のために』(1992)である。イヴ・ボンヌフォワ監修「観念と思考」叢書に入って、バルトルシャイティスの「逸脱の遠近法」三冊とともに、この叢書の名を一段と高からしめた。「細部」と「絵画の縁」に注がれるほとんど偏執狂的な目は、確かに唯一、バルトルシャイティスに似ている。改めて物故が口惜しい。
似ているといえば、今回作『モナリザの秘密』は、元々ラジオの連続講話ということもあって、ジョン・バージャーのBBC連続レクチャー『ものの見方』(邦訳『イメージ』)によく似ている。アカデミーから出たことのない美術史家一統のたわごとを信じず、「自ら直接の対峙」をと呼びかけた上、それを実践してみせ、結果として美術体験の最良のガイドにもなっている。本の真中にあって前半後半を分ける「盗まれた博士論文」の章をみて、元々「文学畑」のアラスが美術史は「独学」であるが故、「美術史の王道から少しはずれたところにあるもの」に関心が向くようになったとあって、一切非常に納得がいった。
学問的には実感派で歴史考証にうるさく、パノフスキーの遠近法批判、フーコーの「ラス・メニーナス」論批判、アルパース『描写の芸術』批判など、実にまともな批判で、シャステルやフランカステルの良きアカデミーの感覚もしたたかに持っている。その上での「王道はずれ」であるから、そこいらの素人の思いつき「だれでもピカソ」遊戯とは全然ちがう。「新しい美術史学がそっくり」うみ出される。
白眉は前半の8章分を使った遠近法論である。遠近法の意味の間断ない変化、本場15世紀のフィレンツェにおいてさえ「またたくまに時代おくれ」になった事実を知れとか、「騒乱を起こさない」遠近法がのっけから孕んだ政治的役割(「チョンピの乱」)を忘れるな、とかとか、語り尽くされたかと思える遠近法になおこれだけ知られざる重要側面があったかと驚く話題の連続である。遠近法について一種観念の地殻変動を起こさせたということではサイファーの『文学とテクノロジー』以来といってよいかと思う。
圧巻は、遠近法と「受胎告知」主題の必然的な結び付きを指摘し、アラス偏愛のアンブロージョ・ロレンツェッティやフランチェスコ・デル・コッサの受胎告知画の空間構成や、天使のする「ヒッチハイカー」の手振り、画面前縁を這う巨大カタツムリといった細部を克明に分析し続けていく数章で、素人をいきなり美術史の核部分にむんずと引きこんでいく面白さは、帯にいささか陳腐な「推理小説を読むような」スピードと興奮がある。「形象化できないものが形象のなかに、無限が尺度のなかにやって来ること、それがすなわち<受胎告知>における<受肉>である」として、「遠近法は<受肉>を表象/再現することはできないけれども、<受肉>の神秘を例証するような遠近法の乱れによって、内的な逸脱によって、不均衡によって、<測定不可能性>によって、それに形を与えることができる」という逆説が答である、とする。門や柱、あるいは建築そのものがキリストや聖母の寓意であることに着眼する受肉教義と遠近法の交叉の分析は、"contemplate"(凝視)の中に "temple"(神殿)があることの深い意味をさぐる結論に至る。虚空(riem)が物(res)に淵源するという着眼といい、眩惑的に深い。『襞』 同様で、原文見たい。
とにかく細部に徹する。そこに新発見があって驚くことで出来上る「一種絵画のミクロ歴史学」を、アラスは「近接性(proximité)」の絵画史」と呼ぶ。こうやって微視で迫っても、2007年最大の話題作、山本義隆『十六世紀文化革命』(〈1〉・〈2〉、みすず書房)のように巨視で迫っても、16世紀は面白い。全てが今、マニエリスムを指向し始めたようで痛快である。