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『華岡青洲の妻』有吉佐和子(新潮文庫)

華岡青洲の妻

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「嫁と姑との確執」

 嫁と姑の問題は人種や国籍に関係なく、どこにでも存在するだろう。フランスでは一般的に若者は早目に家を出て独立することが多い。最近は金銭的理由で親と同居する者も増えてはいるが、日本よりはるかに少ないだろう。だからと言って、親子の絆が弱いわけではない。日曜日に両親の家へ食事に行くという習慣が昔からある。

 有吉佐和子の『華岡青洲の妻』に見られる嫁と姑との確執は、はたして日本独特のものなのだろうか。主人公の加恵は、世界で初めて麻酔薬を発明した青洲の妻である。家格の低い花岡家から嫁にと請われ、喜んでそれを受けたのは、幼い時に加恵が青洲の母である於継(おつぎ)の凛とした美しさに憧れたからである。

 加恵が嫁いでからしばらくは順調な日々が続く。京都で医術を学んでいる青洲に金を送るために、全ての家人が働いている。加恵もその手伝いをし、於継にも褒められ、理想的な嫁姑関係が出来上がっていく。加恵の自分に対する想いも理解し、青洲がいない間は、遠くにいる青洲のためにという共通の目的があり、於継は加恵を娘のように可愛がる。

 ところが青洲が帰国すると状況は一変する。於継は青洲の世話に夢中になり、加恵を無視し冷たくあたる。遠い存在への二つの想いは並行するが、それが眼前の青洲へ向くと激突するのである。妻である加恵に、夫と共寝することさえ禁止する於継に、加恵は憎悪と嫉妬の炎を燃やす。「夫の母親は、妻には敵であった。独り占めを阻もうとする於継の無意識の行為もまた嫁に対する敵意に他ならなかった。」

 麻酔薬の完成を目指す青洲に残された課題は、人体実験だ。息子への想いと加恵への対抗心から、於継は自分を使えと主張する。加恵も当然名乗りを上げる。青洲は身体への影響を考え、於継には弱いものを、加恵には実験に必要な量を処方する。於継はそれを知り落胆し、実験は成功するが加恵はそのせいで失明する。やがて於継が逝き、入れ替わるように加恵は青洲の跡継ぎの男児を産む。

 加恵は於継に勝ったのだろうか? 確かに加恵は以前の於継のように、背筋の伸びた凛とした気品のある美しさを持った。墓も於継のものより「一まわり以上も」大きい。だが、未婚のまま癌で死んでいく小姑の小陸が加恵に言う。「お母はんと、嫂(あね)さんとのことは、ようく見てましたのよし。なんという恐ろしい間柄やろうと思うてましたのよし。」そして「私は嫁に行かなんだことを何よりの幸福やったと思うて死んで行くんやしてよし。」と語るのである。

 青洲は二人の確執を何と思っていたのだろう。有吉は彼の心境はあまり描かない。しかし作品の最後は青洲の墓の記述で終わる。「この墓の真正面に立つと、すぐ後に順次に並んでいる加恵の墓石も、於継の墓石も視界から消えてしまう。それほど大きい。」この作品ははたして嫁と姑の問題を描いたものなのだろうか。親族殺人等が目立つ昨今、「家」の問題と共に、家族のあり方について熟考させてくれる一冊であることは、間違いない。


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