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『しあわせの王様――全身麻痺のALSを生きる舩後晴彦の挑戦――』舩後晴彦・寮美千子(小学館)

しあわせの王様――全身麻痺のALSを生きる舩後晴彦の挑戦――

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「病いの物語を支える他者の存在」

前回(2008年10月)のこのブログで、神経難病ALSを持つ人々による自己物語集『生きる力』を取り上げましたが、それに連なる一冊が最近出版されました。『生きる力』の寄稿者の一人でもある舩後晴彦さんによる自伝的作品です。タイトルにある「しあわせの王様」には、二重の意味が込められています。一つには、日常生活上の諸動作を逐一指示し手伝ってもらう舩後さんの様子が「王様」のように見える、ということ。そしてもう一つは、そのような状態を堂々と「しあわせ」だと言いきれる、すなわち「しあわせ者の中のしあわせ者」という意味です。


舩後さんは、1957年生まれ。青年時代を千葉県で過ごしています。いわゆる「猛烈サラリーマン」として溌剌とした壮年期を送っていたさなか、1999年から体の異常が現れ始めます。歯ブラシがぽろりと手からこぼれ落ちたり、鞄を持つのが重たく感じたり。やがてペットボトルの蓋が開けられなくなりますが、それらはまだ苦難のはじまりにすぎなかったのです。

ALSを患う人をとりわけ悩ませることの一つが、人工呼吸器を装着するかどうかという選択です。ALSの場合、病気の進行によって呼吸筋が動かなくなるので、呼吸のために喉のところに穴を開けて気管に管を挿入し、そこにつないだ機器から空気を送り込む必要が生じます。この方法によって、さらに比較的長期間(個人差はありますが、数年ないし20年以上)の生活を送ることができます。しかし、筋力の衰えによって自力で排出することのできなくなった痰をどうやって出すか、という問題がのしかかります。その他の助けも含めて、介護の手を非常に要することは否めません。家族だけでそれをカバーするのは到底無理なので、社会的にサポートする制度が必要ですが、日本のほとんどの地域ではそうした制度が整っておらず、多くのALSの人々は「人工呼吸器を付けて家族に迷惑をかけるぐらいだったら、その前に死を選んだ方がよいのではないか」と悩むのです。

寝たきりの我にいとしき妻と子を 守る術なし 逝くことが愛

子をみれば生きたくなるが 介護苦は与えられじと 迷い振りきる

                        (『しあわせの王様』101ページ)

結局、舩後さんは人工呼吸器装着を決断します。その理由は生存へのシンプルな欲求として振り返って語られています。

「死ぬんだ。家族のために、生き恥をさらさないために、絶対に死ぬんだ」と、そればかり考えていたときにも、心の奥底には「生きたい」という気持ちが渦巻いていた。娘の花嫁姿を見たい、妻とともに年老いたい、親より早く死にたくない、という具体的なことだけが、生を望む理由ではなかった。さらにその底、心と体の奥の奥に、生き物としての本能があった。一分一秒でも長らえ、命の火を燃やし続けたいという、命そのものの強い願いがあった。(同書111ページ)

このようなシンプルな生存への欲求に従った自己を成り立たせるにあたっては、舩後さんの場合、ALSを持つ他の人たちとの交流と支え合い(ピアサポート)が重要な位置を占めています。同じ病いを持つ人を支えようとすることで、社会の中での自分の居場所を見つけたようになり、そのことによって、生存への欲求を遠慮なく語れるようになったと考えられます。つまり、他者とのかかわりの中からその人の物語が作られるわけです。

このピアサポートへと彼をつなげる役割を果たしているのが主治医の今井尚志氏です。今井医師は、「専門医であれば、なんとかしてくれるかもしれない」という舩後さんの一縷の望みを容赦なく打ち砕きます。そのようにして「回復の物語(the restitution narrative、2006年6月の当ブログ参照)」を徹底的に駆逐しながら、今井医師は、早い時期から新しい物語へ移行することを舩後さんに要求していきます。それだけでなく、継続的な舩後さんとの関わりの中で、ピアサポートの中で新しい生き方を得ることを提案しているように見受けられます。

こうした他者との関わりは、病いを生きる上では重要な鍵を握ると考えられます。もちろん、それにはさまざまな形があるでしょう。その一つの形を詳細に示しながら、単に感動的であるというよりも、むしろ、病いの物語を支える他者の存在という重要なテーマについて私たちに考えさせる一冊ではないかと思います。

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