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田家秀樹 「新宿と音楽」

新宿はいつの時代も新しい音楽を送り出してきた。

それぞれの世代にとって、新宿で聞いた音楽というのが青春のBGMとして残り続けているのだと思う。

例えば、60年代に新宿で過ごしていた人たちにとってはモダンジャズが、そういう音楽に当たるのだろう。

ジャズ喫茶。モダンジャズが文学や絵画などの芸術と密接に関わっていた時代。ジャズ喫茶は、どんな大学の研究室よりも知的で刺激的な空間だった。

60年代の後半に、そうした若者のたまり場だった中央通りの「風月堂」、駅裏から新宿通りにかけての「DIG」と「DUG」。靖国通りの「木馬」や歌舞伎町の「ビレッジ・ゲイト」や「ビレッジ・バンガード」。ビートたけし中上健次、連続射殺犯の永山則夫。その頃のジャズ喫茶を根城にしていたりアルバイト先にしていて、その後、様々な形で名前を知られるようになった人は多い。日野皓正や渡辺貞夫が出演、フリージャズのミュージシャンの登竜門だった生演奏の「ピット・イン」は伊勢丹裏にあった。

僕らより少し上の世代にとっては「キーヨ」や「渚」という店になるのだろうか。モダンジャズからフリージャズへ移行してゆく中で、喫茶店は最も音楽的な場所として機能していた。中央通りの「ボロン亭」は、ジャズの生演奏と詩の朗読というコラボレーションが定期的に行われていた。

日本で最初のタウン誌「新宿プレイマップ」が誕生したのは1969年の6月だ。

それは新宿の街にとって、音楽が喫茶店という空間から表に出て行ったという意味で画期的な年でもあった。

その年の連休明けから西口にギターを持った若者たちが三々五々集まりだしていた。

岡林信康高石友也などのフォークソングを歌う若者達の輪は週末ごとに増え、最盛期には7千人もが西口広場を埋め尽くした。歌だけではなく即席の討論会も行われる熱気に満ちた場所は、文字通りの「広場」だった。

ただ、西口広場は、人が集まることがもたらす影響を怖れる警察の力によって強制的に制圧され、その年の夏に消滅してしまう。それでも、誰もがギターを持って好きな歌を街頭で歌うという意味では、今のストリートミュージシャンたちの走りであり、原型だったと言って良いだろう。フォークソングの最も原初的な形が、新宿西口から始まった。

70年代の音楽の流れを一口に言ってしまうと、ジャズからロック、あるいはフォークへということだったように思う。

70年代の新宿は、ロック喫茶やフォーク喫茶で賑わっていた。新宿通りの「開拓地」や「ローリングストーン」でロックの新譜を聴いたというロック世代も多いはずだ。厚生年金会館前の「ヘッド・パワー」や「ソウル・イート」はサブカルチャーの拠点だった。

アマチャア時代の吉田拓郎が初めて東京のステージに立ったのは西口のフォーク喫茶「フォーク・ビレッジ」だ。吉田拓郎と浅川マキが、三丁目のATG地下にあった「蠍座」で同じステージに立っていたということを信じる人の方がもはや少ないかも知れない。

聞くだけでは物足りない人たちにはディスコがあった。歌舞伎町の「ベビーグランド」や東口の「プレイメイト」、「ジ・アザー」や「チェック」。70年代後半の映画「サタデイナイトフィーバー」に最も敏感に反応していた街が新宿だった。

コンサート会場ということで言えば、新宿厚生年金会館がある。あそこでコンサートが出来れば一流と言うお墨付きの会館。70年代以降に登場してきた人で、あのステージに立ってない人を探す方が難しいだろう。井上陽水の「もどり道」など、何枚もの歴史的なライブアルバムが生まれている。

80年代以降の新宿と切っても切り離せないのがロックである。

それも喫茶店ではない。

ライブハウスという新しい空間。聞き手と送り手が同じ空間で出会う。

その走りとなったのが、西口の「ロフト」だった。76年10月にオープンして以来、30年余り。新宿厚生年金会館がそうであるようにあのステージを知らないロック・ミュージシャンはいないだろう。BOΦWYやスピッツラルク・アン・シエルなど、ここから巣立っていった人は数限りない。

ポップスというジャンルも交えれば、中央口の「ルイード」があった。佐野元春、シャネルズ、山下久美子尾崎豊..。

80年代伝説発祥の地は新宿である。

日本のコンサートの有り様を変えたのは88年にオープンした「日清パワーステーション」だった。歌舞伎町の奥、日清食品の本社の地下に作られた”ロックン・レストラン”。食事も出来るライブハウスは画期的だった。

98年の閉館まで丸10年。LUNASEAやMr.Childrenの初登場は衝撃だった。90年代の音楽シーンは“パワステ”なくしては語れない。桑田佳祐小田和正などの超大物が深夜にシークレット・ギグを行ったこともあった。

音楽の街、新宿――。

ただ、今はどうなのだろうという寂しさも拭えない。

都庁のある街として年々整備され、より清潔になって行く一方で、新しい音楽を生み出す文化的な活力が感じられなくなっているのは僕だけだろうか。

それとも、新宿の街は、もう音楽を必要としなくなっているのだろうか。


田家秀樹

田家秀樹 (たけ・ひでき)

1946年、千葉県生まれ。タウン誌「新宿プレイマップ」編集者を皮切りに放送作家、雑誌編集長を経て音楽評論家・ノンフィクション作家・音楽番組パーソナリティとして活躍中。著書に「小説・吉田拓郎 いつも見ていた広島」小学館)など。

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