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『ビジョン』マー(産業図書)

ビジョン

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 心理学を学ぼうと考え文学部に入学した後、研究室に配属された際に先輩から最初に薦められて読んだのが、D.マーの「ビジョン」であった。当時の心理学の状況は、ちょうど行動主義から認知科学的な情報処理アプローチへの転換期で、みなラメルハートとマクレランドのPDPモデルを読んだり(訳本がでたばかりだった)、ミンスキーの「心の社会」を読んだりしていた(こちらは原書で)。しかし、なんといってもマーの「ビジョン」は、私のような学部生にとって憧れの書であった。PDPモデルがなんだか本当かどうかあやしそうに見えたの対し、「ビジョン」は、いかにも本当のことが書かれている気がしたのである。もちろん今となっては、2次元網膜像と世界の3次元モデルの中間的表現である「2・1/2次元」など誰も使わない概念となってしまったが、彼が呈示した、システムを考えるための3つの水準、つまり、ハードウェアの水準、アルゴリズムの水準、そして計算論の水準、の3つは、今でも皆が口にするし、おそらくこれからもすべての認知科学者にとってキーとなる概念であり続けるだろう。とりわけ「計算論(computational theory)」という単語は、もしある特定の単語に被引用回数の指標を計算できるシステムでもあるならば、この20年間で最も影響力のあるキーワードだったということになるだろう。


 私は、今でも計算論について書かれたこの本の最初の章を読んだときのことを、はっきりと覚えている。何だかたいへんおもしろいことが書かれてはいるようなのだが、どうしてもその詳細が理解できなかった私は、ビジョンを夜遅くまで読んだ次の日、今では単語学習のネットワークモデルなどで認知心理学の専門家となった、当時の先輩のMさんに「Mさん、計算論って何ですか?」と聞いたのである。Mさんはクールに「それはですねー、入力と出力の関係を定義する作業です」と実に端的に言い放った。正直私は、ますます「???」であったのだが、その夜、もう一度ビジョンを読み返してみて、愕然とし、そして感激したのである。計算論とは、ある意味で、1つのシステムがおかれた環境の性質を明らかにし、その目的を定義する目的論的な作業であり、それでいてシステムの入力と出力の関係を数学的に定義する、論理的な作業でもあったのだ。マーは、クールで冷徹な関数を定義する数学と、ホットでどこかワクワクさせられる目的論とが、本来的に同一のものであり、この作業が欠けていては、システムのモデル化は一向にすすまないのだ、と主張したのである。モデル化にはシステムの適応論が必要であり、環境の記述が重要である。この主張に感銘をうけた私は、次第に進化論的な心理学の重要性を意識するようになったのであるが、その話はまた別の機会にするとしよう。

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