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『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』 ピーター D.ウォード (文藝春秋)

恐竜はなぜ鳥に進化したのか

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 空を飛ぶのは酸素を大量に消費する激しい運動だが、鳥は空気の薄い高空でも難なくやってのける。そんなことが可能なのは、鳥には気嚢システムというきわめて効率のいい呼吸器官があるからだ。

 鳥だけでなく、鳥の先祖にあたる恐龍も気嚢システムをもっていたことが、骨の特徴から確実視されている。そして、そのことが恐龍に繁栄をもたらしたらしい。

 古生代後半、地上を支配していたのは哺乳類型爬虫類と呼ばれる、恐龍とは別系統の爬虫類だった。哺乳類型爬虫類は子孫の哺乳類に受けつがれる優れた歯をもっていたので、恐龍の先祖を圧倒して繁栄を誇っていた(恐龍は貧弱な歯しかもっていないので、鳥と同じように石を呑みこんで胃の中で食物をすりつぶした)。

 ところが古生代中生代を区切るペルム紀末の大絶滅で哺乳類型爬虫類は小型の種を除いて壊滅し、代わって恐龍が君臨した。中生代は恐龍の時代である。

 ペルム紀末の大絶滅の原因については隕石衝突説など諸説があったが、酸素濃度低下説が最近有力になっている。

 ペルム紀は酸素濃度が30%もあったが、末期には地球史上最低の12%にまで低下したらしい。哺乳類型爬虫類が大型化したのが高い酸素濃度のおかげだとしたら、酸素の激減は致命的である。小型の種しか生き残れなかったとしても不思議はない。

 一方、恐龍は気嚢システムをそなえていたので、低酸素状態でも素早く動くことができた。

 この説をはじめて知ったのはNHKが2004年に放映した「地球大進化」シリーズの第四集でだった。「地球大進化」はNHKの科学番組の中でもとりわけ面白かったが、中でも第四集と地球全球凍結仮説を紹介した第二集は群を抜いていた。

 酸素と進化の関係をもっと知りたいと思っていたところ、本書が翻訳された。邦題は「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」だが、恐龍だけでなく、カンブリア爆発から新生代の哺乳類の台頭までを酸素濃度の変化で統一的に解こうとした野心的な試みである。

 本書はまず酸素の重要性と、地上の酸素濃度と二酸化炭素濃度が時代によって大きく上下したことを説明し、酸素濃度と二酸化炭素濃度の時間的推移を推定したバーナー曲線というグラフを提示する。以降、各章の扉にはバーナー曲線が掲げられ、曲線のどの部分をあつかっているかが図示されている。

 バーナー曲線によると、カンブリア爆発のあった古生代のはじまりの時期は酸素濃度が低下したらしい。著者はカンブリア爆発で進化の実験室といっていいような多種多様な構造(体制)の生物があらわれたのは酸素不足に対応するためだったとする。たとえば、節足動物でいえば、体節を増やすという単純な操作によって鰓の数を増やし、とりこめる酸素の量を増やしたというように。

 ここで著者は一つの仮説を立てる。低酸素期には体制の変化というような大進化が起こり、高酸素期には種の多様化という小進化が起こるのではないか、というのである。高酸素期には個体数が増えやすいから、種の多様化が起こりやすいのは確かだろう。

 古生代オルドビス紀末に酸素濃度が低下し、大絶滅が起こった後、酸素濃度はどんどん上昇し、ペルム紀には30%という史上最高の濃度に達する。酸素が増えるとともに生物はどんどん巨大化していき、さしわたし2mもある巨大なトンボまで出現する。生物の地上進出を可能にしたのも高い酸素分圧だという。

 さて、いよいよペルム紀末の大絶滅である。「地球大進化」は大陸が一つにまとまった結果、マントル対流に異変が起き、ホットプリュームという高温の塊が上昇してきて、シベリアで何万年もつづく大噴火が起こったという説をとっていたが、本書の著者も慎重な留保をつけながらも、酸欠の原因をシベリアの大噴火にもとめている(ただし、ホットプリューム説はとっていない)。

 「地球大進化」はすべての恐龍が最初から気嚢システムをもっていたような描き方だったが(TVなので話を単純にした可能性もある)、著者は気嚢システムをもったのは鳥につながる竜盤類だけで、しかも鳥盤類がわかれた後に獲得したとしている。

 では、大絶滅期に恐龍の祖先はどのように酸欠に対処したのか? 著者は二足歩行が酸欠への適応だという。

 爬虫類は歩く際、体を左右にくねらせるので呼吸がしにくくなる。恐龍と祖先を共通にするワニは脚を腕立て伏せの形にすることで肺の変形をすくなくしたが、恐龍は脚を胴体から垂直におろし、さらに二足歩行に移行することによって、走っても胸郭が変形しないようにした。トリケラトプスやステゴサウルスのような鳥盤類の巨大恐龍は四足で体を支えているが、もともとは二足歩行の恐龍から進化したということである。

 壮大な進化史を展開する野心的な本であるが、十分材料が集まっていないらしく、理屈で押していく演繹的な書き方になっている面は否めない。本書を強引に感じた人はニック・レーンの本『生と死の自然史』や『ミトコンドリアが進化を決めた』の併読をお勧めする。

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