『生と死の自然史』 ニック・レーン (東海大学出版会)
『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』に『酸素』という題名でたびたび言及されていた本である。原題は "Oxygen" だが、すでに邦訳が出ていたのだから邦題を示すべきだったろう。
著者のニック・レーンはミトコンドリア研究の第一人者だそうだが、恐るべき博覧強記ぶりを発揮しており、しかもわかりやすい。読み進むうちに頭がよくなっていくような錯覚におちいる。
どれくらい博覧強記かというと、普通、酸素の発見者としてはプリーストリーとラボアジェをあげ、気のきいた本だとシェーレをつけくわえるが、ニック・レーンはさらにセンディオギウスという錬金術師にまでさかのぼるのである。センディオギウスはラボアジェより170年も早く、硝酸カリウムを加熱して発生する気体が燃焼を促進し生物を元気にすることを発見していた(錬金術の世界ではこの発見はかなり知られていたらしい)。
本書は酸素という視点から進化を検討し直した前半と、人間の生命現象を見直した後半にわかれる。500ページもある本なので二冊にわけるという手もあったろうが、一冊にまとめたことでわれわれの日々の営みがそのまま40億年前の先カンブリア代につながっているというビジョンが見えてくる。
進化をあつかった前半では先カンブリア代の細菌の進化史を酸素の脅威という視点から再構成している。酸素は大きなエネルギーをもたらす反面、DNAを含む有機物を酸化し、ばらばらにしてしまう危険きわまりない元素である。最初期の生命は酸素のない環境で進化したので、酸素は猛毒だった。その酸素をいかに封じこめるかが細菌の進化の課題だった。
酸素呼吸細菌がミトコンドリアとして細胞内に共生するようになったのも酸素対策が主因だったらしい。通説では酸素のエネルギーを利用するために酸素呼吸細菌をとりこんだということになっているが、酸素を利用するメカニズムは共通祖先ももっており、わざわざとりこむ理由にはならない。著者によれば酸素呼吸細菌はむしろ抗酸化作用のためにとりこまれたという。逆転の発想である。
カンブリア爆発については Hox遺伝子のスイッチの入れ方で統一的に理解できるという説を引き、すべての動物の共通祖先が先カンブリア代に Hox遺伝子を進化させていた可能性に触れている。
石炭紀からペルム紀についてのトンボの巨大化等についても代謝という観点からメカニズムを説明している。『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』のやや強引ともいえる主張は本書を踏まえていたのである。
さて、後半ではわれわれの健康・長寿という身近な話になるが、主役がミトコンドリアで一貫しているので異和感はない。
驚いたのはサプリメントで抗酸化物質を摂取しても効果がないと断定していることだ。CoQ10やアルファリポ酸、ビタミンCがアンチエイジングの切札のようにもてはやされているが、寿命を延ばす効果を実証した研究は一つもないといわれている。その理由が明らかにされているのだ。
抗酸化物質は活性酸素を取りのぞいてくれる。一見するとそれはよいことのように思えるが、活性酸素はミトコンドリアの修復機能を発動するスイッチの役目もはたしている。ミトコンドリアは火力発電所のようなもので、ちょっと運転を間違えると活性酸素を発生させ、みずから傷ついてしまう。だから、細胞は活性酸素を検知するとミトコンドリアの修復機能を発動させる。抗酸化物質をとりこむと、活性酸素の検知が遅れ、修復機能がうまく発動されなくなってしまうというわけだ。
百害あって一利もないとはサプリメント大好き人間としては焦る結論だが、ミトコンドリア研究の第一人者の発言なので無視するわけにはいかない。抗酸化サプリを常用している人は本書を読んでおいた方がいい。