『生成するマラルメ』 柏倉康夫 (青土社)
高等中学時代の文学の目覚めから「エロディヤード婚礼」の改稿にとりくんでいるさなかにみまった死まで、マラルメの文学的生涯をたどった評伝である。『ユリイカ』に2002年から26回にわたって連載した原稿が元になっていて、各章は15ページ前後の読みきりになっている。
著者の柏倉康夫氏は大学でマラルメ研究に手を染めたが、アカデミックな道には進まずNHKで外報部記者として活躍した人である。NHK勤務中も研究を継続し、パリに赴任した際には稀覯本などの資料の収集につとめたという。柏倉氏はこれまでに『マラルメの火曜会』、『マラルメの「大鴉」』などのモノグラフを発表しているが、その成果は本書にとりこまれていてマラルメ研究の総決算となっている。ジャーナリストとして経験をつんだからなのか、高度な内容にもかかわらず文章はきわめて平明で、すらすら読める。マラルメを論じた本で、これだけわかりやすい本は他にないだろう。
マラルメは孤高の詩人というイメージが強く、ヴァルヴァン行は伝説化している。イメージだけでなく、マラルメが孤独の中で純化した文学理念は今日まで時代を越えた影響をおよぼしている。その一方、マラルメは無類の社交好きであり、ついには地方での安定した教師暮しを捨て、無鉄砲にも友人のいるパリに家族を連れて出てきてしまう。友人の奔走でリセの英語講師の職にありつき、その後正式採用されるが、二人目の子供が生まれようとしている時期にこんな冒険をする一面がマラルメにはあった。
マラルメは友人に恵まれた。マネとの家族ぐるみのつきあいや象徴派の詩人の梁山泊となった火曜会は有名だが、本書では無名時代からの交友関係が丹念に紹介されている。同時代人に理解されたとはとても言えない難解な作品が日の目を見たのは交友関係のおかげだったし、マラルメの名を一躍知らしめたヴェルレーヌの『呪われた詩人たち』とユイスマンスの『さかしま』も交友関係の中で書かれたものだった。
マラルメが孤独と文学仲間との社交を大切にしていたのはその通りだが、そうした面ばかりが注目されるあまり、家庭人としての面は閑却されてきた。本書は最新の研究を参照して、マラルメにも夫であり父である面があったことを描きだしている。自分勝手なところはあったにしても、マラルメは意外に子煩悩であり、息子のアナトールの死に深い打撃を受けた。マラルメは愛息の死を受けいれるために「アナトールの墓」という未完の作品を書いていた。この作品の存在が明らかになったのは1961年だが、晩年の『骰子一擲』につながっているという。
マラルメは推敲魔だった。校正刷りをなかなか返さないことで悪名高く、中にはマラルメに校正させない出版社まであったほどだ。
新たな作品を書くよりも、旧作に手をくわえるのにはるかに多くの時間を費やした。マラルメの詩の大半は二十代に原型が書かれており、三十年かけて推敲しつづけたともいえる。マラルメではどのように作品を練りあげていったかという異文研究が重要な意味をもつが、素人にはなかなか近づけなかった。本書では詩は基本的に初出の形態で紹介されており、どのように書き換えられていったかが簡潔に示されている。一部の作品については初出と最終版が対比されている。「罰せられた道化」を見てみよう。まず、初稿。
彼女の眼、――青い朝の光が差し込む美しい睫毛が
植わっているこの湖で泳ぐために
女神よ、私、――あなたの道化である私は、窓を乗り越え
あなたのケンケランプの燻る私たちのあばら家を逃げ出した。
女性の眼を湖に見立てるというありがちな手法で、繊細な感性が光っているものの、それ以上の魅力はない。23年後、この詩は次のように変貌している。
眼、湖、単なる蘇生の陶酔から、
羽ペンのようにケンケランプの汚れた煤を
身振りによって呼び起こす道化役者の身を忘れ
私は天幕の壁に窓をあけた。
わかりやすい具象画がイメージが衝突し、映発しあう立体派の絵画に変わったようなもので、これこそマラルメの世界である。
解釈にあたってはギイ・ミショーとジャン・ピエール・リシャールを参照することが多いが、「半獣神の午後」を論じたみごとな条は著者の独自の見解だろう。
マラルメに興味のある人はなによりもまず本書をひもとくとよいだろう。こんなに行き届いた、贅沢な入門書があるのだから、今の人は幸せである。