『夫婦善哉』織田作之助(講談社)
人なみにあらたまった気持ちで新年を祝い、さて今年の行く末はと我にかえるが、自分のことはひとまず向こうへ押しやって、そわそわとオダサクで明け暮れるこの正月であった。
妻も子もある惣領の身で若い芸者の蝶子と駆け落ちし、勘当された柳吉は、それでもしばしば実家を訪れる。そんなときの蝶子は「水を浴びた気持が」し、いてもたってもいられない。なんとしてでも自分の手で柳吉を一人前の男にしようと苦労を決めこみ、ヤトナ(臨時雇いの女中兼芸者)稼業に精を出し、柳吉に小遣いを与えながら、自分は着物ひとつ新調せず切り詰めた暮らしの蝶子である。
まとまった金ができると、剃刀屋、関東煮屋、果物屋と店を構えてはたたむのくりかえし。はじめはやる気をみせる柳吉だが、そのうち飽き、放蕩の気が疼けば、蝶子がやっとの思いで貯めた金を一晩で使い果たす。
すると蝶子は気のすむまで殴る打つの折檻。朝のみそ汁の鰹節を柳吉が削るのは、そこまで「自分の手でしなければ収まらぬ食意地の汚さ」のためだが、「亭主にそんなことさせて良いもんか」「あれでは今に維康さん(柳吉)に嫌われるやろ」と、蝶子ばかりが柳吉に入れあげ、甲斐性を押しつけ、挙げ句は尻に敷いていると世間からはとりざたされる。
例によって柳吉が梅田新道の実家へ出かけ、幾日も戻らなかったときのこと。半泣きの蝶子は、父・種吉に柳吉の様子をみてきて欲しいと頼みこむが、いつもは娘に甘い父はそれをことわる。
「下手に未練もたんと別れた方が身のためやぜ」などとそれが親の言う言葉かと、蝶子は興奮の余り口喧嘩までし、その足で新世界の八卦見のところへ行った。「あんたが男はんのためにつくすその心が仇になる。大体この星の人は……」年を聴いて丙午だと知ると、八卦見はもう立板に水を流すお喋りで、何もかも悪い運勢だった。
俗に、男を食い殺すなどといわれる丙午生まれの女である蝶子は、芸者時代「陽気な座敷には無くてかなわぬ妓であったから、はっさい(お転婆)で売っていた」、こざっぱりとして勝ち気な気性である。
しかし、蝶子と所帯をもってからいうもの、頑固者の父に決して許されないことに、柳吉がつねに屈託していると知る蝶子は、柳吉の朝帰りしたときは逆上し、気のすむまで懲らしめても、実家へ出向く柳吉をとめることはできない。どんなに困っていても、
……柳吉にだけは、小遣いをせびられると気前よく渡した。柳吉は毎日が如何にも面白くないようで、殊にこっそり梅田新道へ出掛けたらしい日は帰ってからのふさぎ方が目立ったので、蝶子は何かと気を使った。父の勘気がとけぬことが憂鬱の原因らしく、そのことにひそかに安堵するよりも気持の負担のほうが大きかった。それで、柳吉がしばしばカフェへ行くと知っても、なるべく焼餅を焼かぬように心掛けた。黙って金を渡すときの気持は、人が思っているほど平気ではなかった。
柳吉の父に許されたいという気持ちは蝶子もおなじ、ただしそれはふたりの仲を認めてもらいたいという女の意地による。それをいくら張っても張り足らず、いよいよ行き詰まれば、八卦見にかかりたくもなるだろう。あるいは、柳吉の帰りを待ちわびて金光教の道場へお参りに通い、柳吉の妻が出戻った先で死んだときけば、法善寺へご寄進し、位牌を祭る。
この、健気にもさばけた信心深さが、そのかいがいしさが何かにつけて鬱陶しい蝶子の愛らしさだと私の目にはうつる。蝶子の意地は同時に彼女の弱味でもある。しかし、「男に尽くすその心が仇に」といわれても、我が身を省みるなど思いもよらない蝶子である。そこが「夫婦善哉」の、というより、オダサクの書くものの魅力となる。登場人物の内側に仔細に入り込まず、出来事をひたすら羅列する。それでこそ、しみじみとこちらにせまってくるものがある。
どうしようもない甲斐性なし、しかし蝶子の目にはなんとも様子のいい男に映るのだろう柳吉が、この物語のいちばんの「いいキャラ」であるが、私としては蝶子の父・種吉もなかなかに捨てがたい。蝶子が柳吉に惚れたのは、たいへんなお人好しで女房にあたまのあがらない父親をみて育ったせいだと、オダサクはそうとは書かないから、そんな下手な解釈は野暮になってしまうのだけれど。
(ちなみに、別府を舞台にその後のふたりを綴った、これまで未発表であった続編を含めた『夫婦善哉・完全版』(雄松堂出版、二〇〇七)がある)