『年表で読む哲学・思想小事典』 フォルシェ- (白水社)
哲学史関係の記事を年代順にならべた「読む事典」で、紀元前2300年頃のエジプト神学の誕生からドゥルーズ=ガタリの最後の共著『哲学とは何か』(1991)までをカバーしている。
書店で本書を手にとった時、たまたま開いたのが529年にユスティアヌス帝がアカデメイアを閉鎖させた記事だった。そこにはこうあった。
この年は古代哲学が終わりを告げる象徴的な年となる。
帝国のまとまりを維持するためには、宗教的統一が必要であった。そこで皇帝は、反キリスト教的なギリシア哲学者たちに対して教育活動を禁止した。彼はギリシアの方々の哲学学校を閉校させ、その後それらの財産を没収した。
ダマスキオス、シンプリキオス、エウラミオス、プリスキアノス、ヘルミアス、ディオゲネス、イシドロスといった六人の哲学者たちはペルシアに亡命し、五三二年にはメソポタミアのハランに定住した。この地はその後、イスラーム文化に対する〔ギリシア哲学の〕中継基地の役割を果たすことになる。
6世紀にアカデメイアが900年余の歴史を閉じたことは知っていたが、それがユスティアヌス帝の哲学禁止令の一環であり、アカデメイア以外の哲学学校も閉鎖されていたとは知らなかった。しかも哲学者たちがペルシアに亡命してイスラム圏に哲学を移植したことまで書いてある。これは「買い」だと思った。
原著はフランスのクセジュ文庫から古代・中世篇と近代篇の二分冊で出ているが、日本版は一冊にまとめ、堅牢なハードカバーで出た。値段ははるが、手もとにおいて長く使うにはこの方がありがたい。
西洋哲学だけでなく、東洋やイスラム圏、ビザンチン圏の思想・宗教上の事件や世界史的な事件も載っている。ぱらぱらめくって拾い読みしていたが、面白くてつい何ページもつづけて読んでしまう。たとえば、アナクシマンドロスが謎めいた言葉を書きつけた頃、ペルシアではゾロアスター教が開教され、イスラエルでは第二イザヤの「主の僕の歌」や『ヨブ記』が書かれていた。中国で孔子が諸国を遊説していた頃、ギリシアではアイスキュロスやソフォクレスが悲劇を書いていた。ストアのゼノンがストア派を創始した頃、アレクサンドリアでは図書館の建設がはじまり、七十人訳聖書が翻訳されつつあった。
錯覚にも気づかせてくれる。ストア派は普通の哲学史だとエピクロス派とこみでオマケのように語られるだけだが、本書にはストア派関係の項目が頻出し、紀元前3世紀から紀元後2世紀まで500年以上つづいた一大思想運動だったことがわかる。
新プラトン派は教父哲学の前が定位置なので、プロティノスはキリスト教以前の人のように思いこんでいたが、なんとオリゲネスよりも後だったのである。ということはグノーシス主義よりもずっと後だ。グノーシス主義は新プラトン派の影響を受けたように書いた本があるが、そんなことはありえないのだ。
ここで目次を紹介しておく。
第1章 哲学の創始者たち
- <始まる>ということの意味の問題
- 場所の問題―哲学はどこで始まったのか
- 目安となる時代
- 年代確定の問題―哲学の重要な創始者たち
第2章 理性の時代
第3章 大転換
- 歴史的遠近法による転換
- 古代の連続性
第4章 再開と再生の時代
- 中世は<暗黒時代>なのか、<未知の時代>なのか
- 中世の年代確定の問題―輪郭の揺らぐ中世
- 場所の問題―哲学は各地を放浪する
第5章 ルネサンス哲学―実り多いが曖昧な時期
第6章 古典期の哲学
第7章 啓蒙の時代
第8章 十九世紀―哲学と科学
第9章 哲学の二十世紀
熊野本や岩崎本を読んで、発展ストーリーで整理することに疑問をもったが、本書を読んでいくと発展ストーリーが多くの錯覚をうむということがよくわかる。本書は哲学史にありがちな錯覚を避ける上でも役に立つ。