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『新日本人の起源』 崎谷満 (勉誠社)

新日本人の起源 : 神話からDNA科学へ

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 著者の崎谷氏はもとはウィルス学が専門ということだが、日本人の成り立ちをさぐるために、分子遺伝学、人類学、言語学までを射程におさめ、京都大学の伝統である学際的なとりくみをおこなっている研究者である。本書も第一章はDNA、第二章は文化、第三章は言語とアプローチを変えている。

 崎谷氏は2003年の『日本列島の人類学的多様性』以来、日本人の起源論を精力的に発表し、2008年には一般向けの『DNAでたどる日本人10万年の旅』(以下、『10万年の旅』)を上梓したが、同書執筆中にY染色体の研究が急速に進んだために、あらためて本書『新日本人の起源』を書いたということである。

 『10万年の旅』は現在絶版になっているが、『新日本人の起源』には『10万年の旅』にないような画期的な発見が盛りこまれているのだろうか? 素人目には大筋は変わっていないように思えたが、専門家が見れば違うのかもしれない。

 しかし、記述面では明らかな違いがある。『10万年の旅』では「縄文人」が複数の起源をもつ多様な集団であることを示すためか、「縄文系の人々人」とか、「縄文系ヒト集団」としたものの、弥生人については「渡来系弥生人」と呼んでいた。ところが『新日本人の起源』では「渡来系弥生人」という呼称を排したのみならず、「縄文人」「弥生人」という呼称の批判に多くの紙幅がさかれているのである。

 「縄文人」「弥生人」がなぜいけないのだろうか? 「縄文人」「弥生人」とくくってしまうと、その集団の中の多様性が見えなくなってしまうというのが理由の一つだが、それ以上に特筆されているのは「縄文人」「弥生人」という名称が多地域進化説を前提にしており、人種の違いを含意して差別的だからという理由だ。

 多地域進化説とは百万年前にアフリカを出た原人が世界各地に散らばってネアンデルタール人北京原人になり、そのままコーカソイドモンゴロイドに進化したとする説である。ミトコンドリアのイヴ仮説が出てアフリカ単一起源説が有力になった後も、各地で独自に進化した旧人との混血があり、それが民族差になったのではないかとする説が根強く残っているのである。

 二重構造モデルを提唱した埴原和郎氏によれば縄文人は北上してきた南方旧モンゴロイド弥生人は南下してきた北方新モンゴロイドであり、人種的な違いがあることになる。ところがミトコンドリアDNAやY染色体成人T細胞白血病やピロリ菌の研究が進んだ結果、新旧モンゴロイドという対立概念そのものが否定されてしまった。

 南から大量の人口移動があったという説も否定されている。氷河時代ニューギニアとオーストラリアの間にサフル大陸と呼ばれる陸塊があって多数の人口を擁していたが、温暖化でサフル大陸が沈むと北方へ大量の人口が流出した。それが日本までやってきて縄文人になったとされていたが、南からの流れは思いのほか細く、せいぜいフィリピンのあたりまでしか来ていなかったことがわかっている。縄文人南方起源説は完全な誤りである。

 いわゆる「縄文人」の中核をなすD系統はもともとは華北にいて、漢民族に追われて西に向かったD1がチベット人の中核になり、東に向かったD2が縄文人の中核になったらしい。縄文人チベット人と兄弟関係にあり、むしろ北方起源というべきだ。

 一方「弥生人」の中心のO2系統は長江流域で水稲栽培をしていた人々で、長江文明の担い手だったらしい。長江文明漢民族に滅ぼされた結果、O2系統の人々は四散し、南に向かってベトナムに逃げこんだのがO2a、北に向かって日本に逃げこんだのがO2bだという。弥生人ベトナム人と兄弟だったわけで、南方起源は彼らの方だったのである。

 弥生時代、数十万人から百万人規模の大量移民があったとされてきたが、現在では小グループがさみだれ式にやってきたという見方が有力のようである。秦に滅ぼされた呉・越の遺民がボートピープル化して日本に流れ着いたということだろう。

 二重構造モデルによればアイヌ人と琉球人は弥生人の大量流入によって南北に分断された縄文人の末裔であり、同一起源とされたが、近年の研究ではそうした見方は否定されている。琉球の先住民は南方系の漁撈民だったが、南九州から多くの移住者が農耕をもちこんだ結果、言語的にもDNA的にも南九州と非常に近くなった。他方、アイヌ人の方はオホーツク文化と近縁の集団もいれば、本土と近縁の集団もいるというように多様な人々の集まりで、言語的には非常に古いシベリアの言語を今日まで保存していると考えられるようになった。

 『10万年の旅』では日本語の成り立ちについては弥生人の渡来で言語が交代したとする見方を否定し、縄文語が弥生系言語の影響を受けて日本語となったという小泉保氏の『縄文語の発見』に似た成立史を推定していた。『新日本人の起源』でも大筋は同じだが、「日本語」という括りを斥け、「琉球語」、「九州語」、「西日本語」、「東日本語」に解体し、「アイヌ語」と同列に並べて多言語共存を強調した書き方になっている。

 たった一年で多言語性に大きくシフトしたのは東日本の基層集団にテュルク系、モンゴル系、トゥングース系のみならず、ウラル系の集団が思いのほか多く含まれており、言語的に単なる縄文語の地域差とは言えない可能性が出てきたからということかもしれない(微妙な書き方なので、この解釈があっているかどうかはわからない)。

 本書は最新の知見が盛りこまれた得がたい本だが、一般向けの本ではなくかなり敷居が高い。過去の自著への引照が多いのも論旨をわかりにくくしている(『10万年の旅』を読んでいたので、おおよそのことはわかったが)。

 民族や言語のルーツをさぐる試みは政治性を帯びざるをえないが、次の条は心して読むべきだろう。

 さらに歴史的に、東アジアでは漢民族の膨張が極端なまでの文化的、言語的、民族的単一化を引き起こしてきた。それと対照的に、海で守られたこの日本列島において、DNA、文化、言語の多様性が維持されてきたのは奇跡のような幸運であった。その自らの内の多様性を厭って、自ら進んで中華文明の支配下に身を置き、自らを否定しようとする行為は問題である。この日本列島内部の多様性、そして東アジアとのDNA、文化、言語の本質的な違いとその意義を、もう一度よく理解する必要がある。

 『Y染色体からみた日本人』と同様の結論である。やはり日本人は大陸の負け組の集まりだったらしい。

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