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『ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて』生井久美子(岩波書店)

ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて

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「苦悩には意味がある」

 本書の主人公、福島智さんは幼少の頃に光を失い18歳で音も奪われ、盲ろうになった。そして、プロローグの詩にあるように、「闇と静寂の中でただ一人ことばをなくして座っていた」が、現在は東大教授。3年前の障害者自立支援法を巡ってのごたごたの最中は、障害者運動の理念を支える一人でさえあった。


だから、福島さんは偉人に描かれてもよい人なのだが、本書ではもちろん、そのようには描かれていない。

 2005年の早春に東大本郷での講義に一度だけ参加させてもらったことがあり、そこで初めて指点字通訳を見た。まるで人間タイプライターのようだった。指点字通訳者は福島さんの脇にいて、福島さんの指にひっきりなしに指を打ち続けていた。それを瞬時に福島さんは読み取って自分の言葉で、しかもはっきりとした発音でお話された。タイムラグもない。講義が終わってから、みんなで居酒屋に行った。私の真向かいに福島さんと指点字通訳の方が座られて、本当に美味しそうに食べて飲んでにぎやかにしていらした。私もリラックスして福島さんと歓談した。その頃、福島さんと奧さまが漫画の主人公になったこともあり、美形に描かれすぎているとからかわれていた。だが本書によればまさにその頃、福島さんは適応障害に苦しんでいたのである。いくつものバリアを突破し多くの人に支えられて夢を叶えてきた。そんな彼のことを主治医は「アイコン」と呼ぶ。

「「アイコン」、象徴として、大きな存在で、とりかえのきかない存在。社会的文脈として、一人の役割を超えている。そうすると、適応(すべきだと本人が考える)要求水準がとても高くなる。」

 アイコン=聖性を帯びた象徴、とりかえのきかないアイドルの孤独だ。脱人格化された福島さんの生身の人格が悲鳴を上げていた。

 福島さんの人生は、まず過酷な盲ろうという障害を抱えて迷い救いを求める者として始まった。でもついにその障害を乗り越えれば、今度は乗り越えた者としての役割に苦しんでいたのだ。私がお会いした頃の福島さんは、障害者自立支援法を協議する社会保障審議会障害者部会の当事者委員として、障害者の予算をできるだけ削ろうとしていた国の政策立案者たちと闘っていたのである。彼が円形テーブルの委員席から「応益負担の導入は、無実の罪で牢獄にいる者に保釈金を払えと言っているようなものだ」と発言した時、私は彼の真後ろの報道者席にいた。その言葉には種別を越えた障害の者の悲しみが凝縮されていた。各障害者団体は一致団結して法案反対運動を開始したが、連帯の継続は難しく、それぞれが自分の障害特性や立場を強調し始めていた。福島さんはその絆をつなぎとめる役割を果たそうとしていた。でも、その福島さんが期待と責任の重圧に押し潰されそうになっていたとは。

 本書では福島智の成長の歴史も描かれ、彼を前へ前へと送り出してきた家族や友人のエピソードが語られている。彼らは智を孤独にしないために、沈黙を遠ざけ、世界を発見させるために、途絶えることなくコミュニケーションを続けた。そうして、大学に進学させ、障害学との運命の出会いへとつなげたのだ。その人たちの思いが行間から溢れてくるようで、前半でまず圧倒されてしまった。

 実は出版後、息もつかずにすぐに読んでしまっていたのだが、いざ感想を書こうとすると、福島さんに申し訳ない気持ちで一杯になり、どうにも筆が進まなくなってしまった。代替のない困難な役目を押しつけてきたのに、それを「苦悩には意味がある。人生には使命がある」などと福島さんは言っている。のんきな健常者にも分かるように「生きること」「自立」「コミュニケーション」を読み解くヒントを生井さんが聞き出してくれている。それはALSのような重身体障害者が抱える問題とも共鳴した。貴重な言葉に出会うたびに感動し癒され、涙が出てきて立ち止まってしまった。福島さんは超希少な盲ろうの障害の当事者でありながら、その苦悩を学問を通して普遍化する人でもある。

 出張先にもこの本だけは持ち歩き、新幹線や機上で読んでは涙でマスカラを剥がし、周囲の乗客に怪しまれていた。そんなわけで紀伊国屋さんの書評ブログですぐにも紹介しますと著者の生井さんに言ったのに、全くの力不足でどこから紹介してよいのか迷いに迷い、更新するのがずいぶんと遅くなってしまった。

 取材対象に対するこのすさまじい集中力は、あの生井さんの華奢な身体のどこに潜むのだろう。私は彼女も一種の「アイコン」だと思っている。

 最後に、この言葉で括るのは筋違いかもしれないけれど、福島さんが生井さんに伝えたかったことのひとつに、「ペースダウン」があったはずだ。それを生井さんは文中で、福島さんが「自分(自身)に語りかけてもいるのだ」と解釈しているが、確かにそうかもしれないけれども、この時はたぶん、福島さんは本当に生井さんの心と身体を心配していたんだと私は思う。本の執筆を通して二人は深く交流されたのだろう。意思伝達機能の優劣とコミュニケーション能力は別だということも、本書は教えてくれているのだ。


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