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『愛雪〈上下巻〉―ある全身性重度障害者のいのちの物語 』新田勲(第三書館)

愛雪〈上下巻〉―ある全身性重度障害者のいのちの物語

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「人生はみじめさと愛で溢れている。だから素晴らしい。」

どのように生きたらよいのか。誰かに基準を示されないと価値感も気力も失われ、生きている目的が見つからない。そんな風に嘆いている世の男たちに(男ばかりではないけれども)捧げたい本が刊行された。著者の新田勲は1940年生まれ、2歳の時にかかった百日咳で重度の脳性麻痺になり、68年から府中療育センターに入所。その後、センター移転反対運動から都庁前座り込みへと発展し、73年より地域での生活を開始。日本の障害者運動家の中でも武闘派と呼ばれてきた。電動車椅子を騎馬戦に見立て、官僚との格闘もいとわない激しい抵抗を示すのが彼の運動スタイルであった。彼ひとりでは水さえも飲めないほどの身体障害の在り様なのだが。
72歳の今も板橋区の都営住宅で若いヘルパーたちとの共同生活を送っているが、健常者の妻が近くに住み、二人の間には美しい娘さんもいる。前著『足文字は叫ぶ!—全身性重度障害者のいのちの保障を』(現代書館)に続くこの『愛雪』上下巻も、小さな板の上に右足が描く不鮮明な文字(平仮名か)を、熟練ヘルパーは即座に解読、読み上げて初めて意味を成すという独特な意思伝達方法を用いて執筆した。重度脳性麻痺に加えて、4,5年ほど前から肝臓に進行癌ができ、とりあえず抗がん剤治療を開始したのだが、副作用で動けなくなり、この本を執筆するために治療を一時中断していた。そうして執筆も一応の目途がついた頃、メロン大にまで癌が肥大し成長してしまい、やはり命は惜しいということで日赤広尾の院長に直談判し、今は日本における最高レベルの抗がん剤治療を再開している。


だから今では障害者運動というよりも闘病なのだが、この本をできるだけたくさんの人に読んでもらいたいと言う。障害者のための介護保障制度を作ってきた者としての責任があるのだと言う。


本の帯はあの山田太一氏によるものだ。どういうルートでこの偉大な脚本家にコンタクトできたのかは聞いていない。しかし、新田の辞書に不可能という文字はない。新田はあらゆる手段とコネクションを使い大胆かつ巧妙に目的を達成してきた男である。彼による激烈な介護保障要求運動は日本の障害学の歴史に残るほどのものであり、国や都などの公的機関でも彼の存在は有名なのだが、この本を通して、彼の別の一面を知ることができる。それは、すなわち新田による社会運動のエネルギーの発生元が、実は女性への愛で溢れていたということ。そして、女性を慕い想う気持ちの純粋さと愛欲の強さが、彼をして日本の障害者の歴史を変えるほどの行動力に変換されていったのだということだ。言葉も不明瞭な重度の全身性障害者でありながら、途切れることなく彼には女性がいた、大変モテたということは都市伝説のように、まことしやかに囁かれてきたが、この本で彼はりっぱに証明している。運動家はどの時代、どの国でもモテるのだということを。韓国の障害者運動のリーダーたちも全員が既婚者であったように、肉体の不随意さと主張の尖がり方のアンバランスに女性はけっこう惑わされるのだ。

新田は愛する人と会うために、自分を裏切った女を見返すためにも、施設を出て地域で暮らさなければならず、介護保障要求運動につなげたのである。


新田の若い男性ヘルパーたちは介助をしながら、どんなにひどい身体的ハンディがあっても戦略的な生き方ができることを学んでいるが、今回は新田と歴代の恋人たちとの往復書簡の膨大な束を整理しながら、泣けて泣けてしかたがなかったという。山田太一氏が言うように、それは「恋情がほとんど障害者としての新田さんを無化してしまう時の高揚に胸を打たれた」ということなのだろう。

新田が勝ちとった介助制度は現在、障害者自立支援法の重度訪問介護という長時間の見守りも含む滞在型介助サービスとして結実している。これにより24時間医療的ケアを必要とする単身の難病患者なども自宅で生活できるようになっている。この制度を利用する人や、介護職にとっては制度を学ぶ上でも必読の書であるが、昭和文学を愛好する人にとっても、また恋愛小説としても、恋愛指南書としても、読みごたえのある内容となっている。


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