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『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』藤原新也(東京書籍)

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

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「都会に追い詰められない、静かな語り」

 浜松から東京に行く用事があった。私は、新幹線なのかなでiPhoneをいじり、ツイッターでつぶやきを仮想空間に発信していた。静岡県内の風景は美しい青空だった。小田原駅から空がガスに覆われていく。横浜に至ると完全にヒートアイランド現象が始まっている。新幹線の窓の外はサウナ状の熱気である。東京駅に降り立つ。そこにはねっとりした熱気が渦巻く。錦糸町に移動する。客に見放された商店街には、アジア系の移民が経営する小商い。建設中のスカイタワーを見上げる。その塔の下には、さびれた商店街。この商店街には後継者はいない。数年以内には、跡形なく店は変わる。野心的な若い経営者がスタイタワーにむかう観光客のニーズにあった店を出していくことだろう。

 地方都市と東京の関係はいまさら論じるに値ししないことだろう。不況のなかで気の利いた人間たちは、よりいっそう東京に吸い寄せられていく。それと同時に、地方の人材の枯渇と、それにつけ込む大資本による店舗で地方はいままで以上に画一化していく。

 その大状況のなかで、ひとりの個人の悲哀は語られなければならないだろう。

 

 その語り部として、私は藤原新也さんに絶対の信頼を置いている。

 九州の最北端門司の旅館で生まれ、東京で学び、アジア放浪をしたこの表現者は、日本の地方、東京というメガシティ、アジアの辺境、アメリカをクールに見つめてきた。

 最近は、国内の人々の暮らしにじっと目をこらしている。ときに文章で、ときに写真で。

 本書は、東京の「メトロ」というフリーペーパーでの連載をまとめたエッセイ集だ。

 東京都民の多くは、地方では食っていけないという理由で流れてきた田舎の人々で構成されている。この新東京都民は、東京の加速感のある生活のなかで、自身のルーツを忘れていく。

 東京と地方(海外)を往復する無名の人々の生きる姿を活写する。

 読んでいると、新東京都民が忘れていたことを思い出させる力がある。

 表題となった同名のエッセイ「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」。

 ひとりの青年は大学を卒業したあとにIT企業に入社した。しかし毎日パソコンに向かう生活がいやになって退社。就職先が見つからない。ネットカフェ難民になってシブヤで暮らしていた。その青年は3年後、北九州のなにもない離島でひとりで暮らす。猫が一匹いる。「この島、東京と同じです」。自分が世界から忘れられているようなところが似ているという。その青年が「正気」にもどったときの風景。それがコスモスのある原野だった。はっとするような美しいコスモスの花。

 

 藤原は、青年との対話を再現したあとに、さらりと地の文でこう書いていく。

 「だけどそのコスモスの群生地も造成され、今は寒々とした工場の資材置き場になっているよ。こうして世界の美しい場所や思い出の地は人間の営利のために次々に壊され、僕たちはこうして都会のネットカフェに追い詰められていくのさ」

 東京メトロ。通勤客は、この藤原の文章を読んで会社に向かったのである。

 この本があれば都会に追い詰められない。


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