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『アドルノ伝』シュテファン・ミュラー=ドーム(作品社)

アドルノ伝

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「最強のアドルノ伝」

 本格的なアドルノ伝。ロ-レンツ・イェ-ガ-の『アドルノ ― 政治的伝記』が「政治的な」という但し書きをつけたのが、少しわかる。こちらは研究者がじっくりと調べた伝記で、あまり楽しい逸話はないとしても、アドルノの思想的な動きが詳しく追跡されているのだ。現在のところ、最高のアドルノ伝と言えるだろう。

 たとえばウェーバーの跡を継いだ音楽社会学的な構想は、クシェネクとの対話のうちで、練り上げられる(pp.174-185)。作曲家でもあったアドルノにとっては、音楽とその批評は他の哲学者の誰にも負けない本領だったが、音楽批評の方法は同時にアドルノの方法論を決めるものでもあった。

 アドルノは、大作曲家は、「まさにその外見上の主観主義のなかで客観的な社会的要請のメガフォンとなる」(p.176)と考える。このようなイデオロギー的な批評方法を採用することで、アドルノは音楽家の内部に立ち入ることなしに、作品を批評することができる。音楽的な素材というものは、「作曲家が歴史的に機能なものという枠内で解かねばならな諸問題を含んでいる」(p.178)ものであり、作曲とは一種の「暗号解読」(同)として他者が読み解くべきものだと考えるのである。

 またジャズ論(pp.230-237)では、「ジャズの音楽的構造の中に社会的なもの、社会的諸矛盾の表出を探しだす」(p.232)ことに先駆けた。アドルノは「軽音楽の仮象の中に弁証法的にひとつの真理が映し出されている」(同)と考えるのである。そしてジャズのうちには「ステレオタイプ的特質と個人主義的特質」(p.233)が現われでていると考える。そして権威主義的なパーソナリティの研究と並行する形で、「権威主義的な傾向をもったジャズファンの衝動構造」(p.235)が分析される。

 ベンヤミンとのアウラ論争(pp.250-257)では、ベンヤミンの側は、大衆が映画を集団として観照しながら大笑いすることに、肯定的な意味づけをする。大衆芸術はアウラを取り去られることで解放作用をもたらすのであり、ファシスト的な「政治の美学化」に対抗する手段となると主張する(p.254)。これにたいしてアドルノは、「映画の観客の笑いは革命的で良いものであるどころか、最悪のブルジョワサディズムに満ちている」(p.255)と反論する。現代の技術の性格にもかかわる重要な論点だろう。

 ファシズムの本性論争、実証主義論争、アウシュヴィッツと詩論争、学生運動論争など、アドルノの生涯は、こうしたさまざまな論争の歴史であり、この歴史を追うことでドイツの現代の思想的な歴史をかなり跡付けることができるのである。その意味では、この思想的な伝記は、ドイツの思想的な伝記の一つの顔を描きだすものだとも言える。

 もちろんアドルノのついての楽しい逸話もないわけではない。アドルノの一家が休暇を過ごすことを通例としていたオーデンヴァルトのアモールバッハの町の様子は、つい訪れてみたくなるし、コケモモのソースの鹿のソテーもつい食べたくなる。フランクフルトから二時間だというから、前から知っていたら、絶対に訪れていたのにと、残念に思う。

 アドルノと妻のグレーテルの物語も、不思議な感じを与える。アドルノはどんな女性とでも、席を同じくするすぐに口説き始めるという。誰でもいいのだそうである。「一人一人の女性の個性に対して〈色盲〉のようだった。どうも〈女性それ自体〉が自動的に彼に火を点すらしい」(p.72)という。なんともはや。

 妻はたまったものではないが、アドルノがどれほどほかの女性と恋に落ちようと、じっと耐えていたという。そしてアドルノが心臓発作で亡くなり、遺稿の『美の理論』を刊行してしまうと、「催眠薬を多量に呑むことで自殺をはかった。生命はとり止めたのだが、以後二三年間、死ぬまで彼女は介護を必要とする身になってしまった」(p.61)。なんともアドルノ、愛されたものである。

【書誌情報】

アドルノ

■シュテファン・ミュラー=ドーム【著】

■徳永 恂【監訳】

作品社

■2007/09/11

■811p / 21cm / A5判

■ISBN 9784861821233

■定価 8190円

●目次

第1部 源泉―家族と子ども時代と青春期。マイン河畔の町で過ごした勉学の年月(対照的な父母の家系;ジャン・フランソワ、またの名をジョバンニ・フランチェスコ―コルシカの祖父 ほか)

第2部 住所の移転―フランクフルト、ウィーン、ベルリン。多様な知的関心(哲学と音楽の越境;流れに抗して― フランクフルトの街と大学 ほか)

第3部 亡命時代―余所者の中での知的実存(二重の亡命―伝記的運命としての知的故郷喪失;民族共同体のための画一化とアドルノのためらいがちの亡命 ほか)

第4部 思考は無限だが、忍耐には限界がある(「ノー」という爆破力;転居。廃墟を視察する ほか)

エピローグ 自己自身に逆らって考える


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