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『宇沢弘文のメッセージ』大塚信一(集英社)

宇沢弘文のメッセージ

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「編集者のみた宇沢弘文

 著者は岩波書店の元社長で、長い間、同社の著作物の編集に携わってきたが、とくに経済学者の中では世界的な数理経済学者だった宇沢弘文(1928-2014)と懇意にしてきたひとである。宇沢氏の主要著作はほとんど岩波書店から出版されているが、本書(大塚信一著『宇沢弘文のメッセージ』集英社新書、2015年)によれば、なんとその九割の編集や企画にかかわってきたというから驚きである(同書、10ページ)。書き手と編集者の間の関係は微妙で、編集者が替わると下手をすれば書き手の「生産力」が急に落ちる場合もあるが、宇沢氏の膨大な著作群をみれば、著者と宇沢氏の間のパートナーシップは長年きわめて良好だったといえるだろう。

 宇沢氏の人柄と学問については、ご自身の書いた『経済と人間の旅』(日本経済新聞出版、2014年)という本があり、これを読めばおおよそ宇沢経済学のメッセージがわかるが、編集者のサイドからみた宇沢弘文は、長年、編集者として付き合ってきた著者にしか書けないものである。とりわけ、宇沢氏の名著『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)の企画・編集を担当したことが、著者に鮮烈なイメージを植え付けた。数理経済学者としてアメリカの学界で高く評価されながら、ベトナム戦争を境に新古典派経済学に疑問を感じるようになっていた宇沢氏と最初に面会したとき、この本の企画の話が宇沢氏のほうから出たというのは初めて知ったが、高度成長時代の日本で「外部不経済」としての自動車の社会的費用を問題にしようとする経済学者はごく少数派だった。自動車工業会や、経済成長主義を信奉していた政治家や官僚たちの受けがよくなかったことは十分に想像できるが、その本の出版は、宇沢氏の水俣病問題や地球環境問題などへの取り組みにもつながる重要な意味をもっていた。だが、鋭い著者は、こんなことも指摘している。「宇沢の考えを徹底するなら、それは宇沢がよって立つ近代経済学そのものを根底からゆるがしかねない」と(同書、62ページ)。

 たしかに、「社会的共通資本」を軸にした環境経済学や公共経済学の構想、ジョーン・ロビンソンという左派ケインジアンとの親交から生まれたケインズ経済学の独自の解釈、制度主義の創設者ソースタイン・ヴェブレンの再評価、「不均衡動学」の構想など、新古典派の枠組みにおさまりきらない宇沢氏の経済理論は、編集者としての著者の目にも魅力的に映ったに違いない。私たちも、これらの分野における宇沢氏の著作から多くを学んだ。だが、宇沢氏が新古典派から離れ、「人間が真に豊かに生きることができる条件を、経済学者として具体的に探究する試み」(同書、196ページ)を追究すればするほど、「ノーベル経済学賞」の栄冠も遠ざかっていったことは事実である。「経世済民」の学問としての経済学は、本来、宇沢氏の後期の仕事と深くかかわっているはずだが、それが学界での評価と必ずしも調和していないのは残念なことである。

 それにしても、長年、編集者として付き合いのあった経済学者の人柄や学問を一冊の本にしてしまう著者の力量も賞賛すべきだろう。岩波書店を退職してからの著者の仕事は、これで何冊目になるのだろうか。同社には学者として立派に通用した歴史家がいたのを知っているが、現在でもその方に劣らぬ教養人が少なくない。そのトップに立っていた著者がこのような本を書くのも、老舗の伝統を受け継いでいるからかもしれない。


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