解説者による戦力分析:早川書房山口さん
今回の「解説者による戦力分析」では「epi文庫」や「epiブック・プラネット」のシリーズなど、早川書房の海外文学を単独で編集してきた山口さんにお話を伺います。山口さんの仕事には前回フェア「対決! 共鳴し合う作家たち」の時から大変お世話になっていて、今回のフェアでも彼の編集による文学が大量に並ぶ予定です。山口さん、よろしくお願い致します。
──今日はよろしくお願いします。
山口:ラインナップができたんだって?
──はい。これが噂のブックレットです。
山口:ああ、ちゃんとイギリスの中でも分けてるんだね。イングランドだけで三種類もある。「悪女の巣窟フランス」って問題ありそうだね。ポーランドだとゴンブローヴィッチとレムがいるのか。あれ、マキューアンってオランダ系だっけ?
──それがまた違うんですよ。
山口:ああ、『アムステルダム』だからオランダか。そういうのもありなんだね。
──その国出身の作家を集めるだけではつまらないので、その国を舞台とした小説も入れるようにしたんです。決してインターネットで調べ切れるようなものではなく、読まなきゃ作れない選書となるように工夫してあります。
山口:工夫が伝わってくるね。あ、カフカはもう国扱いなんだ。
山口:ハンガリーには洋書も入ってるんだね。こう見てると、結構新しい作家が入ってきている国と古典しか無いような国の差があるよね。
──ロシアなんかは古典と現代で分けて選書をしています。いわゆるロシア文学とペレストロイカ以降と。
山口:イタリアはカルヴィーノ、モラヴィア。うん、ちゃんとしてるよなあ。あ、ヘミングウェイでスペインっていうのは良いね。シムノンってベルギー人なんだ。初めて知ったよ。
──実は僕たちも調べて初めて知ったんです。
──あったとしても、このラインナップと差し替えられるものはないでしょうね。
山口:インドはいっぱいあるし、タイはちゃんとラッタウット・ラープチャルーンサップが入ってるね。
──これ、大好きなんですよ。
山口:いや、これ素晴らしいよね。
──本当に良かったです。
山口:文庫にしたいなって思うくらい素晴らしい短編集なんだよ。
──「ガイジン」とか「カフェ・ラブリーで」とか。「こんなところで死にたくない」も秀逸ですよね。
山口:あれをタイトルにすれば良かったな、と思って。『観光』だとやっぱりさ、検索しても『観光白書』とかそういう本が引っかかっちゃって。
──でも原書だと『Sightseeing』ですよね。
山口:そうなんだよ。カタカナで『サイトシーイング』でも良かったな。パムクは『白い城』なんだ?
──せっかくなので新刊を入れました。
山口:そっか。これはこれでちゃんとした作品だしね。ダイ・シージエとイー・ユンリーで中国っていうのも良いなあ。
山口:アメリカに多いよね。中国系で書く人。
──テッド・チャンとかを入れても良かったかも。彼は「往年の名選手」に入っています。
山口:アフガニスタンはだいたい俺が担当してるな。タイとかベトナムとか、こういうところは大体回ってくるんだよ。ああ、アメリカは難しいよなあ。
──アメリカはかなり分かれました。
山口:フォークナー、オコナー、あ、モリスンは『青い眼が欲しい』と『スーラ』なんだ。すげえなアメリカ、まだある。コーマック・マッカーシーも入ってるね。ナボコフはロシアでも良かったんじゃない?
──そうなんですよ。『ディフェンス』はロシア語で書いていますしね。
山口:舞台もヨーロッパの方だしね。あ、キューバもいいなぁ。すごいね。これ本当に全部並ぶの?
──並びます。
山口:文庫も単行本も関係ないんでしょ?
──そうですね。ちゃんとミリ単位で棚の幅を測っています。
山口:これ勝負はどうやってつけるの?
──勝負は売り上げ冊数でつけようかなと思ってます。ハードカバーは既に不利なんですけど(笑)。
山口:二冊分とかにしたら良いんじゃない。そっか。チリもボラーニョが来てるから強いし、南アフリカもゴーディマがいるから強い感じがするね。すげえな、この冊子が一番人気なんじゃない? 何部刷ったの?
──3500部です。
山口:すげえ。紙もちゃんとしてるし、索引も入ってるし。
──索引を作るのには一日かかりました。じゃあ一通り目を通して頂いたところで、そろそろインタビューに移らせて頂きますね。まず、この企画を聞いたときどう思われましたか?
山口:ワールドカップみたいなイベントがあると、よく広告であるんだよね。世界地図が出て、この国はこの本を読みましょう、みたいな。前の時にもそういう企画があって、早川書房からも何冊か入れたんだけど、でもそういう選書ってぬるいんだよ。折り合い感があって。だから最初聞いたときはそんな風になっちゃうかと思ったんだけど、この冊子を見たら、そんなところは無理矢理突き抜けた感じになってて、ここまでやればありなんじゃないかなって思うよ。やっぱり、必ずしもその国の人じゃないっていうのが良いんじゃないかな。作家の出身国だけじゃなくって、テーマや内容で選ぶっていうのは新しいやり方だよね。
──そこは本当にこだわりました。
山口:これ、みんな読んでるんでしょ? 全部で何冊?
──650冊です。
山口:すげえな。ここまでやるのは尊敬するしかないですよ。すごい勢いで読まなきゃいけないじゃん。プライベートも捨てて、青春も全て投げうって、女にもうつつを抜かさずに。
──何を言っているんですか(笑)。
山口:若い時期を無駄にしてこんなに本を読んでるなんて偉いよ。
──女の子よりもバタイユですよ。
山口:そっちの方がエロいかもしれないね。
──では、このブックレットを実際に見て、山口さんの気になる国があれば教えてください。
山口:そうだな、ぱっと見た感じだと、ギリシャが気になるかなぁ。ギリシャ古典をあんまり読んでないから、読んでみようかなっていう気になる。『イリアス』は岩波文庫?
──そうです。松平千秋さんの訳はすごく読みやすかったですよ。
山口:今年は教養人になりたいから古典を色々読もうと思ってるんだよ。この前宮沢章夫さんのイベントに行ったんだけど、やっぱり博学で、フォークナーの話が出ればフォークナーの話をするし、シェイクスピアの話になったらシェイクスピアの話が出来るし。一応基本的な古典とかにはきちんと対応していて、いい大人になったらあのくらいじゃないと駄目だなと思って。しかもそういう知識を文章に出さないところが良いよね。
──『牛への道』の中に出てくる「スポーツドリンクがやたらに出てくる自販機の話」とか本当にくだらないですよね。
山口:「読んだぜ」って言わずに、密かに読むっていうのが良いんだよね。
──見習いたいですね。ベラベラ喋っちゃう。
山口:だからギリシャでしょ、あとはそういう意味でロシアかな。ロシアもあまり読んでないんだよ。ソルジェニーツィンもすぐ挫折したし。チェーホフは読んだけど、ツルゲーネフも読んでないし。なんか合わないのかなロシア。新訳読んでもすぐやめちゃうから。辛抱できないんだよね。だからこれから読みたい意味でもギリシャやロシアみたいに古典がちゃんとある国がいいな。アメリカはもういいや。仕事で十分やってるし。あとはチリかな。ボラーニョはこれからどんどん訳されるだろうし。正月に洋書の『2666』を買って読み始めたんだけど、字が小さくて辛い。
──あの分厚いやつを買ったんですか。
山口:早く訳して欲しいな。ナイジェリアもいいね。南アフリカは結構やったからいいんだけど、そうじゃないアフリカの国は読みたいな。あ、このコンゴ共和国は何? 強そうじゃない。コメントが「エロあり、グロあり、ゾンビあり」か。ほら、今年はゾンビイヤーだからね。
──なんですかそれは?
山口:去年フランクフルトのブックフェア行った時もみんな来年はゾンビだよ、って言ってた。ほら今、二見書房から『高慢と偏見とゾンビ』って出てるじゃない。あれアメリカで百万部くらい売ってるし。ロマンスも今年はゾンビらしいよ。「ゾンビと何をするんですか?」って聞いたら、「いや、フレッシュゾンビだからロマンスでも大丈夫」なんだって。
──フレッシュゾンビ(笑)。
山口:そういうゾンビの意味でもコンゴはかなり最先端だね。しかも「蠅兵器で滅びた時代の先には何も変わらない新しい時代が待っている」だって。素晴らしいね。コンゴやばいじゃん。際立ってるね。初日に買いに行かなきゃ。
──アフガニスタンはもう見たくもないですか?
山口:アフガニスタンはもう結構本を出したからね。『カブールの燕たち』もやったし、カーレド・ホッセイニもやったし。アフガニスタンは頑張って欲しい国だけど、このワールド文学カップでは頑張らなくていいや。もっと別のところで頑張って欲しいね。あと注目はインドだな。今一番勢いあるし、これからもっといろんな作家が出てくると思うよ。ラヒリもそうだし、キラン・デサイもそうだね。今回キラン・デサイは入ってないけど。アラヴィンド・アディガの『White Tiger』も面白かったな。この「出場停止中の名選手」は、何で出場停止なの?
──絶版なんです。出版社という審判からレッドカードを突きつけられた作品たちです。
山口:ああ、これはそういうメタファーなんだね。オンダーチェの『イギリス人の患者』も絶版なんだな。これ、翻訳した土屋政雄さんが一番気に入ってる訳文なんだって前に言ってたよ。
──ではそろそろ優勝予想国をお願いします。
山口:え、これって真面目にやった方がいいの?
──ふざけてもいいです。みんなに聞かれるのは何なんですかね(笑)。
山口:だってさ、一冊しかない国とかあるじゃない。「コンゴ」とか言ったらもう負けじゃん。ふざけた方が楽だよね。そうね、普通にやったらアメリカかな。「戦争につぐ戦争アメリカ」とか堅いよね。だって村上春樹、柴田元幸を擁するし、この前亡くなった浅倉久志さんもいるし。スティーヴン・キングも入ってるしね。でも、これじゃああまりに面白くないからやめよう。僕は競馬もやるんだけど、本命派じゃないんだよ。大穴を狙う方なんで。ここはまあ第一候補だと思うんだけど、あえて外して、もうちょっとオッズの高いところを狙おうか。日本か、でも穴でもないよね、これって。『バレエ・メカニック』は非常に評価が高いし。インドもまあ強いよな。ラヒリは文庫になってるし。イタリアは堅いね。「カテナチオ」っていうだけあって。やべえ、これ難しいね。馬が多すぎ。
──馬が多すぎ(笑)。
山口:パドックを見た感じだと、アメリカ、インド、スペイン、イタリアあたりが良いね。
──スペインも入りますか。
山口:ヘミングウェイがあるとね。リャマサーレスもいるし、なかなか良い毛並み。あとカフカも良いね。引用が伊藤計劃の「そもそもチェコ人にカフカの話というのが間違っている」っていうのは素晴らしいところから引いてきてるよ。これも入れたいな。まあフランスはちょっとずるいかな。卑怯だもん、これ。「エロスの大国フランス」はね。じゃあ最後に本命を一個決めるよ。
──お願いします。
山口:当日の馬場状態を聞きたいんだけど、って、つまり、どんなお客さんが多いと予想してるの?
──もちろんこういう記事を見たコアなファンの方も来て下さると思いますが、大半はあまり海外文学を読んだことのない方だと思います。
山口:そういう人にとってこのフェアは手が出しやすいよね。国別に分けて展開している店ってそんなに多くないし。
──ちなみに他の方の意見ではフランスが強いですね。
山口:フランスはずるいよ。コンテンツの量が違うし、色んな人がいるしさ。何しろエロを擁してるからね。これは一番人気だから嫌だな。じゃあ僕はやっぱりタイだな。大穴狙いで。
──ギャンブラーですね(笑)。
山口:いや『観光』は本当に良い本なので、紀伊國屋に来る全員の人に読んでもらいたいです。
──では最後に、山口さんの好きな作品でベストイレブンを選んで下さい。
山口:フォワードは『日はまた昇る』だな。軽量級だから。あと、ディフェンダーは『蜘蛛女のキス』かな。気持ち悪いから。
──避けて通りたいですね。
山口:あと、ミッドフィルダーは『エデンの東』かな。元々アメリカ文学から入ったからね。そうだな、フォークナーも入れたいな。『八月の光』をキーパーにしよう。あ、そうか、『百年の孤独』をどこに置くかが問題だな。でもあえて『エレンディラ』にしよう。『エレンディラ』と『日はまた昇る』のツートップで。やっぱりおばあちゃんが孫に売春させるってのがいいよね。
──あと六人です。
山口:『異邦人』をどこかに入れたいな。でも、カミュってどこのポジションでも使えなさそうだよね。選手としては役に立たないから、『異邦人』はサブに入れておいて。
──ひでえ(笑)。
山口:あとアラスター・グレイも使いたいな。『哀れなるものたち』をディフェンダーにしようかな。
──『蜘蛛女のキス』とコンビを組んで。じゃあサイドバックはどうですか、右サイドと左サイド。たまにいいセンタリングをあげるような。
山口:「たまに」ってところが良いよね。『安全ネットを突き抜けて』とかを書いてるチャールズ・バクスターっていう短編作家が好きだから、彼が左サイドだな。僕が担当したのは『愛の競演』っていう長篇なんだけど。女の人も入れたいから、逆サイドにはジャネット・ウィンターソンを入れよう。ゲイを入れたからレズビアンも入れないと。『オレンジだけが果物じゃない』で。フォーメーションは4-3-3にしようか。
──そうすると、あとは中盤二人とフォワード一人ですね。
山口:そうか、誰にしようかな。イシグロやマッカーシーは入れたくないからなぁ。あんまり自分の担当じゃない作家から作りたいな。フランスはカミュしか入れてないし、誰か出てくる気がするね。
──エロいのが。
山口:イレブン見たら、俺、言うほどエロくないのかもしれない。
──どっちだよ(笑)。
山口:困ったらこのブックレット開くと出てくるかも。あ、モーパッサン好きだ。『モーパッサン短編集』を入れよう。フォワードで。コンラッドは好きじゃないしな。あ、カポーティだな。最初に「ミリアム」が入っているのは『夜の樹』だっけ?
──確かそうだったと思います。
山口:じゃあそれと、あ、『ロリータ』入れるの忘れてた。『ロリータ』が司令塔だな。でもこれじゃああんまり面白くないね。家の本棚見ながら考えたいな。『東京モンタナ急行』っていうブローティガンの作品も好きなんだよね。
──控えになっちゃいますがいいですか?
山口:あ、交換しなきゃならないのか。そしたら『哀れなるものたち』と代えよう。あれは俺が担当した作品だし。『東京モンタナ急行』。ブローティガンって日本に住んでたことあって、歌舞伎町でゲロ吐いたりしてて面白いんだよ。そうか、これで決まっちゃったのか。じゃあ『エデンの東』を『ガープの世界』に代えよう。アーヴィング。
──『ガープの世界』は素晴らしいですよね。
山口:『ガープの世界』以降はあんまり好きじゃないんだけどね。これで完成かな。あ、完璧。
──ミッドフィルダーは三人いますけど、ボランチは誰にしますか?
山口:ちょっと下がり目なのはやっぱり『ロリータ』かな。ワン・ボランチだね。短編集が三人フォワードだと面白いかも。じゃあバクスターとヘミングウェイを入れ替えよう。
山口:控えは『異邦人』。絶対使わない。急にいなくなっちゃいそうだし。『シーシュポスの神話』とか仕事に行く前に読んだら行かなくなっちゃうし。
──絶対に読んじゃいけない本ですね。
山口:高校一年生の時に読んで、絶対こういう大人にはならないぞって思ったのに、まんまと同じような日々を送っている。
──僕も高校生の時に読みました。
山口:衝撃を受けるよね。ちょっとニヒリズムに傾倒するんだけど、そうすると女にもてなくなるんだよなあ。
──ありがとうございました(笑)。では、最後にフェアに来て下さるお客さんにメッセージをお願いします。
山口:本当に素晴らしいラインナップだし、どの本も非常に面白い本ばかりなのですが、その中でも是非タイの『観光』を手に取ってみて下さい。
■山口さんが選ぶベストイレブン
FW:ギー・ド・モーパッサン『モーパッサン短編集』
FW:ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』
FW:チャールズ・バクスター『安全ネットを突き抜けて』
MF:トルーマン・カポーティ『夜の樹』
MF:ジョン・アーヴィング『ガープの世界』
MF:ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』
DF:アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』
DF:ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』
DF:マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』
GK:ウィリアム・フォークナー『八月の光』
控え:アルベール・カミュ『異邦人』
(2010年3月9日、早川書房1階の喫茶店クリスティにて)
(インタビュー・記事:蜷川・木村)
山口さん、どうもありがとうございました。こっそり今後の刊行予定を聞いてみたところ、先日とうとう発売になったマリー・ンディアイの『ロジー・カルプ』に続き、昨年のゴンクール賞受賞作である『Trois femmes puissantes』も刊行の予定があるとのこと。他にもJ・M・クッツェーの新作『Slow Man』とオルハン・パムクの新作『The Museum of Innocence』も年内には刊行、さらにダイ・シージエの新作二つと昨年ピュリッツァー賞を受賞したエリザベス・ストラウトの『Olive Kitteridge』も目下準備中とのことで、海外文学好きには大変嬉しい知らせを教えて頂けました。今後も目が離せそうにありません。